長塚 節著 『土』
藤沢周平著 『白い瓶』/(副題) 小説 長塚節

                   
2005-09-25

(作品は、ほるぷ出版 長塚節』及び、文芸春秋社 藤沢周平全集第八巻白い瓶による。)

             
 

 藤沢周平著『白い瓶』は、別冊文藝春秋で昭和58年新春号から59年秋季号に掲載されたもので、自然のとらえ方の的確と繊細が、荘内の自然に深くなじんで育った藤沢周平にはわがことのように感じられたに違いない、長塚節の評伝とも言うべきもの。
 その中で長塚節という人物のことについて知り、またその中で夏目漱石が朝日新聞に連載物の「門」の後の小説として、長塚節の「土」が採用されたことを知った。

 また、その小説「土」が読者の評判が好ましくなく、早々に打ち切りの話が出たにも拘わらず、文芸的には非常に優れたものであるということで、結局当初の予定の4倍近くの回数まで継続されたこと等の背景を知った。
 ただ、藤沢周平著『白い瓶』で長塚節のことを知らず、「土」だけを読んでいたら、途中で投げ出していたかも知れない。 なかなか方言言葉が理解しにくいこともあった。


「土」物語の大筋:

 北関東、鬼怒川のほとり近くの、百姓勘次、娘おつぎ、小さい子供与吉、女房お品の父卯平の生活模様と、その周辺に住む主人、村百姓との貧しい農村生活の毎日がたんたんと、延々と記述されていて、こんな貧しい生活があったのかと思われる暗く、せつなく、それでもほんのりとした気持ちも起こさせる作品である。
 長塚節は、架空の物語でなく、実際の故郷が舞台となつたもので、そのリアルさがいまでも長塚節が短歌だけ作っくれていればよかったのにと言っているという。


読後感:

 なるほど、新聞小説での不評は致し方ないのではと思われる内容である。 しかし、この後単行本として発刊されるにあたり、夏目漱石に序を依頼して、その序の言葉が載っている。 かなりの長文が載っていて、何故長塚節がこんな読みづらいものを書いたのだと疑うかも知れない。 そんな人に対し余はただ一言、かような生活をしている人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舎に住んでいるという悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱き締めてみたら、公等のこれから先の人生観の上に、叉公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与えはしまいかと聞きたい。 余は、特に歓楽に憧憬する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して此の「土」を読む勇気を鼓舞することを希望するのである。 という言葉と同感である。
 しかし、そんなに読みづらくなく、読み進められたのには、年齢的な面、過去の生活経験、環境も幸いしているのかも知れない。

「白い瓶」について:
 藤沢周平の作品に、どうしてこういう物があるのかと思った。
これは、「一茶」のところで藤沢周平の生い立ちを述べたのと関連がある。
この「白い瓶」での資料調査は、「一茶」のときよりかなり多いという。

 長塚節の生涯も、一つの大いなる物語にたる生涯であったようだ。 喉頭結核にかかり、その後肺結核に進展してしまっているも、当時の医学では判らなかったようである。
その治療のため、九州を旅した当時の旅模様も、しめつけられる。 また、婚約者黒田てる子と、病気のための婚約破棄の悲劇。 財産家であった家も、父源次郎の政界での不祥事、借金でその負担のため、利子の返済だけで汲々とする様。

 それらを挟み、正岡子規の一番弟子としての伊藤左千夫、長塚節との友情と性格の相違による対立、俳句、短歌界の変遷、長塚節の歌人としての成長。 一方小説家としての節の、37才で没した短い生涯が記されている。

   


余談1:
作品を読む楽しみに、作者のことを知り、背景を知って読むとさらにその作品の味が増すことを経験する。 藤沢周平の「白い瓶」の作品では、俳人長塚節の人となりを知ることが出来たほか、是まで取り上げてきた夏目漱石の作品との関連、伊藤左千夫の「野菊の墓」の評価、正岡子規の存在等、色々な時代背景が見えてきて、大変おもしろかった。

                               

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