永井路子著  『北条政子/炎環』
                     
2004-12-30

(作品は、講談社歴史文学館6 『北条政子/炎環』による。)
永井路子の歴史小説。歴史文学館の監修は、司馬遼太郎、井上清、松本清張の3氏


      

 永井路子は、大正14年東京生まれ。東京女子大学国文科卒業後、小学館に入社し、「女学生の友」「マドモアゼル」の編集者をつとめた。夫は歴史学者の黒板伸夫氏。小学館時代から歴史小説を執筆し始め、昭和36年に「マドモアゼル」の副編集長で退社。昭和39年「炎環」で直木賞を受賞しました。
(インターネツトでの調査による。)

 
 一般に歴史上に知られる、尼将軍北条政子という女性の印象としては、気性の激しい、男勝りの人間という印象を持っている。 この作品は、北条政子という北伊豆の豪族・北条時政の長女、板東育ちの一人の女性の生きざまを史実にのっとり、独自の解釈も含め、歴史小説として描かれたものである。

 そのため、歴史として知っていた事項が、どういう風に、どのような背景があってそうなっていったかのかがよく理解された。 それは、あたかもNHKの大河ドラマを見るように、節目節目で盛り上がりの場面が作られており、盛り上がりかたも大変優れたものといえる。 しかも、女流作家だけあって、政子の女性として、母としての内面感情、心理状態がよく描かれている。

物語の概要:

 出だし部分は、政子が婚期におくれた心の焦りや、父が都から自分と同い年の新しい妻(牧の方)を連れ帰った反発もあり、恋文にさそわれて蛭が小島に住む頼朝の許を訪ね、はじめて愛のよろこびを覚えるところからはじまる。 その後頼朝に別の女がいると聞き、一時は父のすすめる代官山木兼隆との縁談を受け入れたものの、頼朝への思慕を断ち切れず、兄三郎等の協力を得て家を抜け出し、伊豆山権現に参拝する頼朝の許へ走る。 さらに、頼朝が平家打倒の兵を挙げ、その敗北、頼朝の行方知れず、幼い子大姫を抱えながら、夫の無事を祈りつつ、過ごすところは最初の部分のクライマックスとなる。

 やがて頼朝が鎌倉に入り、御台所として生活を送るようになってからも、様々な試練がまっている。 木曽義仲の長男、義高と大姫の幼い恋を引き裂くことになって、大姫と政子の絆は断ちきられてしまう。 不幸は更に続き、大姫に続いて夫を喪い、さらに二女の三幡に逝かれ、長男頼家とも心が通わなくなる。 頼家の専横をおさえるために政子は、尼御台として政権を掌握するが、それも夫の遺志を生かして幕府を維持するための懸命な努力の現れだった。

 最後に三代将軍実朝を暗殺した公卿(二代将軍頼家の次男)の死を知らされた政子が、何故このような恐ろしい終末を迎えねばならないのか、六十年の間、自分は夫を愛し、子供をいとしんで来たのに、なぜ子供達は私のそばをすり抜け、不幸のかげを引きながら死を急いでいったかを思い―――これが私の生きたということなのかと自ら問う。

『炎環』は、(1)悪禅師 (2)黒雪賦 (3)いもうと (4)覇樹の4つの物語から成り、鎌倉政権内部で生まれた四人、――・頼朝の異母弟、今若(僧全成:ぜんじょう)、・石橋山の合戦で頼朝の命を救った梶原景時、・全成の妻保子(やすこ)、・政子の弟、北条四郎義時を中心としたオムニバス形式の作品である。
『北条政子』が、政子を主人公に物語が展開されているのに対し、その中での出来事が、それぞれの主人公を中心に描かれていることで、事象が多面的に捉えられている。

 久しぶりに鎌倉時代のバックグランドを再現し、武士の世の政争、策略、公家世界とのあきれつ、武士の世の女性の生きざまなど、人心掌握の難しさ、先を見ることの難しさといった、現代社会でも通用する人物達に興味が尽きない。再び鎌倉を訪れてみたくなった。


   


余談1:

 時代背景を考えると、背景的にこんな色調を選んでみた。その時の気分によって色々変わるけれど、後で振り返ってみてみるのも面白そう。
 


                               

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