室生犀星著
        『火の魚』
 

                   
2010-10-25




(作品は、室生犀星著 『火の魚』 中央公論社による。)

        

 昭和35年3月刊行

 室生犀星:

 1889年(明治22年)8月石川県金沢生まれの小説家。
 私生児として生まれ、住職の室生家に養子として7歳の時にはいる。1902年(明治35年)高等小学校を中退、金沢地方裁判所に給仕として就職。俳人でもあった上司に俳句の手ほどきを受け、新聞への投稿を始める。戦後は小説家としての地位を確立、多くの秀作を産む。
 抒情小曲集の「ふるさとは遠きにありと思うもの/そして悲しくうたうもの」の詩句は有名。

主な登場人物

小説家。初期の頃は叙情詩をさくしていた。
折見とち子 出版社に勤務の三十に近い女性記者。

物語の概要

 有為の人間に不必要な馬鹿の性格悉く(ことごと)く役に立って、衣食に事足りる事を得る小説家が、燎欄の衣装を着用した一尾の朱いさかなのことを書いて、私の知った限りの女達を振り返る小説を書こうとし、その装本の表紙に一尾の金魚の魚拓を思い立つ。突然一人の童女の顔(折見とち子)を思い浮かべ魚拓の制作を依頼する。

読後感:

 NHKテレビドラマで「火の魚」を2度みた。 最近(9/22)のは再放送でモンテカルロ・テレビ祭ゴールドニンフ賞他色々な賞を受賞したものである。 内容も好ましく、原作が室生犀星ということで原作を読みたくなる。 図書館から手にしたものは、火の魚本9編の短編小説集であった。

 原作は作家が書いた作品の装丁に空から頭を突っ込むようにして海に降下していく、さういう精神力を持った魚拓が欲しいと折見とち子に頼んで、頼まれた折見が「わたくしは生きている金魚を殺せるような恐ろしい女ではございません」と手厳しく作家に詰問する姿があった。 ドラマの脚本では戸惑いながらも生きた金魚を滅し魚拓作業に取りかかっている。
 
 ドラマの脚本というものと原作のありかたがこの作品の場合魚拓の作る祭の思いというものが小説では詳細に描かれているが、ドラマになると見手が理解できるものかなかなか難しいところであろう。 一般に原作に忠実に描いたドラマもあれば、芯の所を利用して独自の展開を見せるものもあるし、どちらがどうというものではないが、今回のドラマは作家と編集者の交流が時にユーモラスさも加わり、好ましい印象を受け、2度も見てしまった。
 
 浜辺に描いた龍の絵、影絵の美しさ、病院に見舞いに沢山の真っ赤なバラ束をかかえて病人の折見を見舞うシーンなど印象に残る場面がすばらしかった。
 そして原作の魚に関心を抱く作家、そして作品の表紙に金魚のこんな思いを表す魚拓を師事する思い、短い文章の中に作家と編集者の間の関係を表している小説と両方感心できたのはいい想い出である。


  

余談:

 TVドラマを見る時脚本が誰かというのは気にするところである。脚本家というのはなかなか日の目を見ないとか、チャンスが与えられないというのを聞いたことがある。
 確かに有名な脚本家でないと世間の人に知られないようである。

 今回原作をヒントにドラマとなっている「火の魚」を見ると、原作に見られる作家の性格、折見とち子の性格が実に良く表現されていて、しかもユーモアの部分も原作の味が実に良くにじみ出ていてどちらもすばらしいものであると感じた。

 今回のドラマの脚本は主に映画で活躍の脚本家で、テレビドラマは今回が初めてという渡辺あやさん。 メッセージに「闇をも照らすまぶしい刹那を、この「試合」に見つけていただけたら、こんなにうれしいことはありません。」とあり。
背景画はNHKドラマ「火の魚」の一シーンより。(NHK広島放送局HPより)

                    

                          

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