読後感:
「月山」「鳥海山」を書いた後、11年後に執筆された作品が「われ逝くもののごとく」である。
死の山のことを書いた「月山」と、生の山のことを書いた「われ逝くもののごとく」は対偶の関係という。(新井満のエッセイ「森敦}より)なるほど作品の中にたくさんの死者が出て来る。しかも語られているのが現実の世界か、夢、幻の世界なのか、ふと判らなくなってしまって、何とも不思議である。(作品の最後に ああ、世は夢か幻か と記されている。)
しかも700頁近い長編と方言言葉で、筋道がよく飲み込めないでとまどってしまう。よくこういう作品の場合、途中で投げ出してしまうのだが、新井満のエッセイのお陰で森敦という作家の人物像が何となく判って親しみを持ったこと、それと時々にハッキリと筋が判り、人間の優しさ、家族の思いが伝わってくる個所が多々あり、最後まで読破することが出来た。この作品も「月山」同様さらに年を経て再度読み直してみたら新たな理解・発見があるとおもえる。
最後の方になって(?)わたしが出て来る。わたしはどうもそれまでに出て来た人物の一人のような気がするのだが、最初から読み返すのはまたの機会にとっておきたい。ということで読後感は未完ということとしたい。
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