宮本 輝著  『満月の道』
      (流転の海第七部)


           2014-07-25

(作品は、宮本輝著 『満月の道』(流転の海 第七部)  新潮社による。)

         

 初出 「新潮」2012年1月号〜2013年12月号(全22回)
 本書 2014年(平成26年)4月刊行。


主な登場人物

松坂熊吾(くまご) 来年65歳。5年契約でシンエー・モータープールの管理人をする傍ら、3年前から中古車の販売業“中古車のハゴロモ”を営む。昔の元気を取り戻しつつある。
松坂房江 熊吾が“ハゴロモ”に注力するため、いきおいシンエー・モータープールの諸々の雑務を一手に引き受け負担が多く、はやくシンエー・モータープールから移住をしたがっている。酒に手を出すこともあり、飲むと熊吾を怒らせる言葉が出る。
松坂伸仁(のぶひと)

中3で高校受験の最中。父親の仕込みか、近頃は隠れた才能が時々房江を驚かせる。おっちょこちょいで生意気な息子。
柔道の体落としの練習は欠かさない。

柳田元雄 柳田商会の社長。松坂熊吾が路頭に迷っているのを5年間の期限で手を差し伸べた恩人。柳田にとっては松坂は使いにくい男。縁を切りたくもあり、5年間としていたが・・。
シンエー・モータープールの人々

柳田元雄が運営する会社。管理人を松坂熊吾に任せている。
・田岡勝己
(20歳位) 熊吾に管理人を1年間先延ばしを条件に柳田商会より専任で来た青年。
・佐古田 癖のある人物。板金塗装に従事。

“中古車のハゴロモ”の従業員たち

松坂熊吾が開業した中古車販売の店。鷺州(サギス)店と大淀店を有する。商売が軌道に乗り、弁天町店の3店に・・・。
・佐田雄二郎 22歳。役立たずと評される若者、運転免許は持つ。育てなければ。
・玉木則之 45歳。簿記二級を持つことで採用。腎臓悪く膝も、穏やかで篤実そうな人柄だが・・・。
・神田三郎 シンエー・タクシーを辞め、(熊吾の支援もあり)会計学を学ぶため大学の夜間に通いながらハゴロモの店を手伝う。
・黒木 関とエアーブローカーでデコボココンビだったが、関が死に、熊吾に拾われる。中古車の仕入れ、査定を任されている。

森井博美 元美人のダンサー(西条あけみ)、顔に火傷を負い(熊吾にも責任がある)古着の修繕と小料理屋でのバイトで生計を。ヤクザの男に生き血を吸われながら、熊吾に助けを求めてくる。
水沼徳 松坂伸仁の友達。大阪に集団就職で来て能登の実家に毎月仕送りをしている。自動車修理工を目指すも、螺鈿(らでん)細工に魅せられ、守屋忠臣に弟子入りを願う。
守屋忠臣 螺鈿(らでん)工芸師。
小谷医師 健康保険扱いをしない名医。

丸尾千代麿
妻 ミヨ
引き取った子
  美恵と正澄

熊吾と親友付き合いで、運送店を営む社長。
・美恵は妻に内緒で付き合っていたおんなの子。
・正澄は浦辺ヨネが上大道の増田伊佐男の子を宿し男の子。
・三國保 運送店の従業員。

麻衣子
娘 栄子

周栄文の娘、城崎に住み妻子もある町会議員の子を産んで温泉町の人には蔑まれながら“ちよ熊”を蕎麦専門の店にしようと気丈夫に頑張っている。
木俣敬二 “キマタ製菓”の親父。手仕事でチョコレート作り。

物語の概要
(図書館の紹介記事より)

昭和36年。65歳を目前にした熊吾は中古車販売業を軌道に乗せ、かっての力を取り戻しつつあった。しかし、愛人・博美との再会で、一家にまたも激動が訪れる…。「父」を描く畢生(ひっせい)のライフワーク。

読後感

 先の第六部を取り上げたのが2011年12月だから3年になろうとしている。本作品を読んでいると登場人物の触りが出てきてああそうだったなあと世界を引き戻されて忘れかけていても思い起こされるのを懐かしむ。時が経ち人生の流れていることを思い知らされる。それと同じく松坂熊吾であり、妻の房江であり、とりわけ伸仁の成長ぶりが楽しみである。
 30年に亘り書き継がれてきた「流転の海」もいよいよ第7部ということで中に過去のことが書き連ねられることが多くなる。

 特に妻の房江の人生が、ひとり城崎で満月の月を見ながら夜の露天風呂に入りしみじみと自分の幸せを感じるシーンは、いままでの人生の重みがふっと忍び込んでくるようで、切ない。
 
 それも夫のこともあるが、伸仁という生まれたときにこのまま生きられるのかという感じでいた息子がおっちょこちょいで、社会の裏を覗き、色んな裏のことを知る男に育つも、柔道をならい、夫が母親を殴ることに敢然と立ち向かう、また母親の酒に溺れることに極端に嫌な顔をする。
 伸仁の行為は本人は本人で考えることがあってしていることが推測できる、そんなことを推し量りながら子どもの成長ぶりに感激・・・。
 熊吾の店はここにきて苦境に、しかも従業員の差配に誤りが発覚、森井博美を助けることにも落とし穴が待ち受けている予感。

印象に残る場面

◇熊吾が伸仁の成長に感動する場面:

「それでお母ちゃんを殴ったら、ぼくは許さんぞ」
 と言い、熊吾の手から一升瓶を奪い取った。
「ゆるさんぞ、じゃとお?それが父親に対して言う言葉か」
 熊吾は頭を殴ろうとしたが軽くかわされ、その腕をつかまれた。・・・
 そうか、こいつが毎晩毎晩、一日も休まずに柔道着の帯を柱に巻きつけて体落としの稽古をつづけてきたのは、この俺をぶん投げるためだったのだ。俺はそれとも知らず、看板屋の作業場に造った柔道場に伸仁を通わせて月謝を払いつづけてきたのだ。

 熊吾はそう思い、伸仁の腕を振りほどこうとした。だが、伸仁の力は強くて、振りほどくどころか、身体を寄せることも間隔をあけることもできなかった。
 こんなもやしみたいな息子に簡単に自由を奪われてしまっているのかと思うと情けなくて、熊吾は逆上した。
 ・・・・
 その場に尻餅をついて坐り込むと、伸仁は手を放し、事務所の戸口に立った。母親を守り続けるつもりらしかった。

 熊吾は、コンクリート敷きの冷たい洗い場に坐ったまま、ケンカに負けた子供のように、近くにある小石を伸仁に投げつづけた。
 ・・・・
 くそっ、くそっと言いながら、もっと大きい石はないかと探しているうちに、熊吾は顔を歪めて泣いてしまった。

 怒りも悔しさもなかった。あの今にも死んでしまいそうな赤ん坊が、こんなに大きくなった。こいつはもうひとりで生きていける。俺の役目は終わった。
 そんな思いが、熊吾に小石を投げつづけさせた。

  

余談:

 読み始めたときは伸仁が20歳になるまで親の役目を果たさないとと言う思いであったが、その必要が無くなってきたと思える伸仁の行動に、涙を流す松坂熊吾の姿。実にこの作品が30年にも及び書き継がれてきたことから、実際の人生における浮き沈み、喜びの時期、人の情け、薄情さそんなことが本当に染み込んでいる作品と思える。

 あと数年の物語かな?そして自分もそんな時を迎えるのだろうかと。
 とにかく舞台が自分が一番多感な時代の大阪梅田付近の土地だけあってしみじみとした感動に揺り動かされる。
 あとがきに第8部(長流の畔)を書き始めていること、第9部で完結するとある。満月を見つめるのは松坂熊吾ではなく房江である。房江にはこれから先、実に苦しみの多い時期が到来すると。 完結は第9部でなく第8部であって欲しいと願うのみだが。

 思うに熊吾の商売の先行きのこと、健康上のこと、女のこと、さらには伸仁の、熊吾のDNAを引き継いだ行動か? そんな予感を本作品「満月の道」に感じられた。

背景画は、本書の内表紙を利用。

                    

                          

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