読後感:
なんとも得体の知れない、ミステリアスな小説。 またバンコクというドロドロシとして貧富の差があり、異国情緒の溢れる雰囲気が堪らない小説。 熱気と生活力の活力がグイグイ読み手に迫ってきて、生きる活力が湧いてきそうな魅力溢れる小説とでも言えるかも。
あとがきから、作者が全くの未完成品であった処女作(27歳の時に書く)を蘇らせようとして書き始めた小説、書き終えるとまるで何もかも異なった作品に出来上がったという。
なにごとでも初期のものというのは、ゴツゴツとして荒削りであっても、何とも言えず新鮮で、魅力的なものが内在しているのは、同じではないだろうか。
印象に残る言葉:
◇タイの風習について:
「門の所で近所の子供達が遊んでいますが、近寄って来ても、頭を撫でてはいけません。」
「どうして?とっても可愛いから、私、これまでに何回も頭を撫でたわ」
「私たちの国では、頭は精霊の宿るところとされています。親は、自分の子をけがされたと思います。」
◇サムスーンが恵子に告げる言葉
「恵子は、私に内緒でタイ語を習っていたんだ。私は体中が熱くなり、いてもたってもいられなくなった。恵子のかっての愛する人が亡くなり、その日に恵子が、自分の内緒事をばらしたとしても、私にとっては、それは静かな好意を深い愛情に変化させる、極めて正直な、極めて人間的なきっかけだと受け取るだけだ。しかし、船は自分で漕いで欲しい。自分で船を操って私の所に来てもらいたい」
「タイ語を習ってたってことは、自分で船を漕いだことにならないの?」
◇あとがきより(作者の言葉)
「愉楽の園」という題は、スペインのプラド美術館に所蔵されているヒエロニームス・ボッシュの絵の題からヒントを得ています。この有名かつ奇妙な絵は、日本では「幸福な園」だとか「愉楽の庭」だとか、いろんな訳し方がされています。ですが、私はその中で最も気に入っている「愉楽の園」という題を使わせていただきました。しかし、ボッシュの絵と、この小説とはなんのつながりも関係もありません。
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