宮本輝著 『流転の海』 (その2)

『血脈の火』 (第三部)、 『天の夜曲』 (第四部)

                  
2006-04-25
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(作品は、宮本輝著 『血脈の火』(第三部)、 『天の夜曲』(第四部) (新潮社) による。)

            
 

 五部作の 「流転の海」は、著者の<父と子>の物語作品である。
(第一部「流転の海」、第二部「地の星」、第三部「血脈の火」、第四部「天の夜曲」、第五部「花の回廊」で、第五部は現在執筆中である。)

「血脈の火」第三部は、「新潮」19931月号〜19962月号連載作品、第四部の「天の夜曲」は、「新潮」19994月臨時増刊号〜20024月号連載作品である。

 ◇ 主な登場人物とその概要
(第三部)
松坂熊吾 愛媛県南伊那よりでて、大阪中之島に商売の拠点を構える。3階建てのビルに、雀荘、中華料理店、テントパッチ工業の3つの商売を進める。軌道に乗り出すとまた次のことに手を付けるという性格は変わらない。
松坂房江 このまま落ち着いて今の商売に打ち込んでくれることを願うが、。。。一時の幸せか?夫の次から次へと思いついた仕事に手を出し、丼勘定で資金を投資するやり方が、大阪に帰ってきてからいっそう顕著になっている点に危険なものを感じ続ける。
松坂伸仁 小学校に入学、自宅より曾根崎小学校に初めてバスで通う。神経質で怖がりなくせに、妙に臆さないところもあって、なんだか、わけのわからないおかしな子。ヤクザの男に可愛がられたり・・・。このいかにも頼りなさそうなチビは、内面にとてつもなく強靱なものを秘めているのだと熊吾は思った。
杉野信哉(ノブヤ) 熊吾の最初の妻貴子(17才で死ぬ)の兄、熊吾の紹介で大阪府警に勤務、今は定年前で曾根崎警察署の交通課の課長。熊吾のことは兄さんと言って、定年後は共同経営者に。
麻衣子 周栄文の娘(18才)、丸尾夫妻の元で暮らす。大学?の井出秀之(24才)と結婚するも、井出が前の妻と寄りを戻しているのを知り、離婚を決意する。
タネ 熊吾の妹。南宇和の城辺の家、土地を売って、母親のヒサを連れて大阪に出てくる。高校生の明彦と3人暮らし。そして、相変わらず妻子のある男を転がり込ませる。
丸尾千代麿 妻に内緒で付き合う女(米村嘉代)が女の子を産んで、まもなく亡くなる。熊吾は一枚かむはめに。
浦辺ヨネ 上大道の増田伊佐男の子を宿し男の子(正澄)を出産。熊吾、房江の所に職を探して出向いてくる。房江に内緒の役目を負い、城崎に赴くことに。

(第四部)
松坂熊吾 大阪での中華料理店での食中毒事件、杉松産業の杉野信哉脳溢血の後遺症で寝たきり、妻房江の女性の更年期症状(ウツ病)と不幸の連鎖的発生に、富山に三人で引っ込むことにする。しかし、相棒の高瀬勇次の人物の小ささに愛想を尽かし、一人大阪に舞い戻り、新しい事業に取り組む。そこでも色々なことが起こり、窮地に立たされる。
松坂房江 伸仁と二人で富山に取り残された房江は、単調な生活に、どうかしたひょうしに、恐ろしい孤独感をつのらせ、奇妙な心の乱れを起こす。そして原因が、心から生じていると思われる喘息に悩ませられる。
松坂伸仁 小学校4年生から富山の学校に編入、高瀬家の二階を借りて房江と二人で暮らす。臨時の、代わりの先生の感情的な言葉に傷つき、学校に行くのを厭がり、蕁麻疹が出て休むこともあったが、環境の違いにも起用に順応する伸仁。しかし、弱くて繊細すぎる部分と、どこか捨鉢になって方向性を失いやすい部分とが反目し、予測不能の過ちを犯す危険性をひめている。
高瀬勇次 松坂熊吾に、富山に来て自分と中古車部品業界で日本一の会社を作らないかと誘う。しかし、熊吾が富山に来て、高瀬の性格を見て、優しいがその人物の小ささに失望する。妻桃子
嶋田元雄 熊吾の妻房江と伸仁の二人が、熊吾が大阪で事業を立ち上げるまでの間、高瀬家から嶋田家の二階に引っ越す。しかし、長男と父親の喧嘩に空恐ろしさを感じる。
丸尾千代麿 大阪で運送店を営む熊吾の良き友。妻に内緒で城崎に隠し女と赤ん坊を囲っている。小谷医師に十二指腸潰瘍と診断され、阪大病院に入院、精密検査を受けることに。
西条あけみ
本名 森井博美
OSミュージックホールのダンサー。伸仁が曾根崎小学校に通っていた時ここに良く出入りしていた。熊吾の余計な注意がもとで、顔に大やけどをする。
久保田敏松 エアブローカー(店を持たず修理した中古車販売をする)の中の比較的良心的で性格温厚な人物。熊吾が関西中古車事業会を発足させる時の相棒。将棋に目がない。

読後感

 伸仁の小学校に通う所の描写といい、今はすっかり変わってしまっていると思うが、自分が中学時代に通った北の梅田周辺、丁度街角にあって曾根崎警察署の入口の両方向からの上り階段の思い出やら、なつかしい風景が蘇ってきて、丸で自分の人生を振り返らせてくれる。
 ちび助のませた様子が、微笑ましく家族の人情味がほのぼのと伝わってくる。

伸仁の様子が描かれているが、今になって、自分の子供をどんな風に育てたか振り返ってみてもあまり思い出せないが、丁度孫を持つ身となって、客観的に見れる立場で考えれことが多い。
 

印象に残る言葉:

◇ 周栄文からの手紙(第三部) 

 人生の不可知な領域には、夢想だに出来ない幸福の種が詰まっているという中国のことわざを、私はいまあらためて心に甦らせています。節子のことも、麻衣子のことも、そして、熊兄に息子さんが授けられたことも、人生の不可知な領域における僥倖(ぎょうこう)と言うべきものでしょう。

◇ 熊吾が麻衣子に周栄文からの手紙をみせてしかる場面 (第三部)

 熊吾は、麻衣子を叱っているうちに、この麻衣子もまた、父の愛情を知らずに育ったのだと気づいた。父なるものへの処し方を知らないことが、麻衣子を女として頑迷にさせている。甘え方を知らず、許し方を知らず、怒り方を知らず、くつろぎ方を知らない。それは、男というものに対してだけでなく、自分以外のものに対して、すべてそうなのに違いない。


◇ 釈迦と弟子提婆達多(だいばだった)の逸話  (第四部)

 釈迦は、自分の弟子の一人である提婆達多を並みいる人々の前できつく叱り、汝は愚人なり、人の唾を食らうものなりと辱めたという。 提婆達多は、弟子のなかでも優秀で、頭も良く、法論にも長け、才気も優れていたが、内に邪悪な野心も隠していた。 釈迦はそれを見抜いて叱ったのだという。

 人前で恥をかかされた提婆達多は、自分に非があるならば、釈迦はどうして自分だけにそれをそっと言ってくれないのかと怒った。 なにもあえて満座の中で恥をかかさなくてもいいではないか。こうなれば、俺は釈迦に敵対しつづけてみせる。 「生き世々にわたりて大怨敵たらん」と誓い、釈迦を殺そうと企て、教団の尼達を犯し、悪業の限りを尽くして、地獄へ堕ちていく・・・

 釈迦の真意は?:
 自分の人生に、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。 釈迦が、提婆達多を人前で恥をかかせ、とりわけ強固な自尊心をあえて傷つけたのは、大目的に向かうために、という人間を鍛えなければならなかったからだ。

◇ 中国の後漢書or史記?

 「蛮夷は鳥獣の心を抱き、養い難く敗れ易し」(蛮夷=野蛮人、未開人、ときにいなかもの)

 わしは「蛮夷」というのは、正しい教育を受けとらん無教養な人間、もしくは、こずるいとか、自己を律する訓練を受けとらん弱い人間のことじゃと思う。

 欲や保身のために、すぐに人を裏切る人間もまた蛮夷じゃ。そういう人間共を真の野蛮人、未開人、いなかものと呼ぶんじゃと思うちょる。蛮夷とは心根の悪い人間のことじゃ。どうもこの心根というものは、その人が持って生まれたものでもあるが、育った環境によっても左右される。
 「自分はいま蛮夷に近いことをしとるのかどうか、いっつも自分に聞いてみることじゃ」


あとがきより(作者の言葉)

第一部を書き出したのが35才の時、第三部を上梓(じょうし)するのに14年余の年を要したことになる。 平成8年8月10日記

「流転の海」という長すぎる小説を書き出してちょうど二十年がたち、私は55才になっつた。 松坂熊吾の年齢に近づいている。 平成14年5月10日記


余談1:
第五部の「花の回廊」はいつ発行されるのか? 生きているうちが良いなあ。
 

                    

                          

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