宮本輝著 『流転の海』 (その1)

『流転の海』 (第一部)、 『地の星』 (第二部)

                  2006-03-25

(作品は、宮本輝著 『流転の海』(第一部)、 『地の星』(第二部) (福武書店、新潮社) による。)

            
 

五部作の 「流転の海」は、著者の<父と子>の物語作品である。
(第一部「流転の海」、第二部「地の星」、第三部「血脈の火」、第四部「天の夜曲」、第五部「花の回廊」で、第五部は現在執筆中である。)

「流転の海」第一部は、「海燕」19821月号〜19844月号連載作品。第二部の「地の星」は、「新潮」19901月号〜19929月号(二十六回)連載作品。

 主な登場人物:
◇ 主な登場人物とその概要
(第一部)
松坂熊吾 50才、25才の時に最初の結婚、その後2人の妻を持つも5年と続かず。満州事変から日中戦争に拡大、40才の時徴兵され、重傷を負い、郷里(宇和島)に生きて帰る。房江(29才)の清楚な美貌の奥にある寂しげな翳に強く魅かれ44才で4回目の結婚。50才で初めての子、伸仁を授かる。戦争で、自動車部品を中国に輸出していた商売は壊滅、再起に乗り出す。
松坂房江 35才、先の夫山下則夫と3ヶ月の子供を残し、別離。その後京都新町の本茶屋の仲居として働いている時、松坂熊吾と知り合い、6年前に結婚し、伸仁をもうける。房江の生い立ちは不幸そのもの、奇妙な星回りに不安を抱いている。
松坂伸仁 1ヶ月の早産で、ちっちゃな身体で生まれる。虚弱児で大きな病気を患い、筒井医師に助けられる。
井草正之助 45才、かっての社員。頭の回転早く、熊吾の胸中を察知し、行動に移せる感性の持ち主。郷里から呼び寄せられ、50才でゼロからの出発をする熊吾に身を寄せる。しかし、己の人生を熊吾に賭けられる程肝の太い男とは思われていない。海老原太一にそそのかされ、熊吾を裏切る。
辻堂 忠 再起を図る熊吾の為、戦前の松坂ビル付近に闇市がはびこる中、ヤクザを追い払い、松坂ビルを取り戻して熊吾の社員に迎えられる。戦前証券会社勤め。伸仁が二十歳になって熊吾が亡くなっていたら後を託される。
海老原太一 熊吾と同じ愛媛県南宇和郡出身。熊吾を頼って上阪、松坂商会で働き、独立。神戸でも有数の貿易商に。亜細亜商会を経営。しかし、熊吾に晴れの舞台で土下座をさせられた遺恨を晴らすべく狙っている。
周栄文 熊吾を兄としたう、15才年下の口数の少ない、温厚な性格の中国人。上海では女房も子供もいるが、熊吾の口利きで日本で仲居の谷山節子と結婚、麻衣子をもうける。日中戦争で熊吾と離ればなれになる時、麻衣子の父親代わりを依頼する。
河内善之助 松坂熊吾という男を知り抜き、「これからは丼勘定で商売をしたらあかんでェ。それから自分以外の人間を信じたらあかん。」と的を射た忠告をする。
丸尾千代麿 運送会社の運転手。軍隊生活6年の経験者。何かと熊吾の手助けをしてくれる陽気で、熊吾のこれからの人生に深く関わってくる人物。

(第二部)
松坂熊吾 伸仁と妻房江の健康のため、一時的に郷里の愛媛県南伊予郡城辺に引き籠もる。田舎にいても生来の性格は変わらず、あれこれと難問を解決していく。金沢に、井草に会いに行った時に言われた言葉に、改めて房江への思いを呼び起こす。熊吾の父亀造が亡くなった56才に、後2年で達する時にいたり、自分は人間として父にかなわなかったと悟る。そして55才になり、このまま田舎に暮らすか、再び大阪に戻るかの選択に悩む。(54−55才 田舎暮らし)
松坂房江 熊吾との夫婦生活も順調。田舎暮らしに健康を取り戻していく。しかし、内緒で酒を盗み飲む姿を熊吾に見られる。
松坂伸仁 熊吾の生まれ育った故郷で、次第に成長していく伸仁。4才−5才までの2年間の成長。
熊吾の家族達 父 亀造(没)、母 ヒサ、妹 タネ、妻子ある野沢政夫と同棲。子供(明彦)をもうける。政夫の妻は5年来の肺結核で、牛小屋を改造した日当たりの悪い座敷牢とも言うべき場所に隔離されていて、よく持って半年という状況。さらにタネは別の妻子ある男との間に子供(千佐子)をもうける。
増田伊佐男 上大道(わうどう)のててなし子。14−15才の時、熊吾との相撲で誤って三尺下の空き地に落ち、大怪我をし左足をこわされたと熊吾を恨む。得体の知れない、気味悪がられる存在で、しょっちゅう仕込み杖を持ち歩いている残忍なやくざ。不幸な生い立ちを持つ。
和田茂十 深浦港の網元である魚茂こと和田茂十。魚茂牛と中田牛の闘牛を企て、増田猪佐男が勝ち目のない中田牛を勝たせ、何かを企んでいるところ、熊吾の機転で救われる。熊吾は、茂十の、余人には窺い知れぬ苦渋にまみれた生い立ちと人徳に惚れ、県会議員に立候補する茂十の選挙参謀になるが・・・。
井草正之助 熊吾を裏切り、今は金沢で重病の肺結核になり後幾ばくもない身、熊吾に詫びたいと待つ。裏切りの理由は・・・

読後感

 この本を読んでいると、昭和21年の終戦当時4才位ほどであった自分が断片的にではあるが覚えている光景が思い出される。当時は物資も無く、3人の子供を抱えて、親父やお袋がよく育ててくれたんだなあと感謝の気持ちが湧いてきた。しかも、兵庫県西宮に住んでいたので、出てくる大阪や神戸の地名によけいに実感が湧いてくる。

 松坂熊吾という父親のダイナミツクな人物像、妻の房江の生い立ち、周りの人達の義の心、情の暖かさ、人間の弱さ、醜さ、そういったものを織り交ぜ、ぐいぐいと読者に突き刺さってくる。 暗い内容の話もあるのにちっとも暗くなく、明るいのが良い。
 重厚で、暖かくて、勇気を与えてくれる作品である。

 

印象に残る言葉:

作品の中には、含蓄のある言葉が多数出てくる。その一端を挙げる。

◇ 熊吾が生まれてきた伸仁を抱きながらいう言葉(第一部) 

「お前が二十才になるまで、わしは絶対に死なんけんのお」と言い、
「お前に人間の見る目を持たせてやるけん。人の心が判る人になれ。人の苦しみの判る人間になれ。人を裏切るようなことはしちゃあいけんぞ。だまされても、だましちゃいけんぞ。この世は不思議ぞ。なんやら判らんが、不思議ぞ。他人にしたことは、いつか必ず自分に返ってくるんじゃ。ええことも、悪いことも、みんな自分に返ってくるんじゃ。そりゃ恐ろしいくらい見事になァ・・・。」

◇ 熊吾が房江に言う言葉 (第二部)
(房江の姉の美津子が、辻堂との結婚をあきらめ、白川益男の後妻として嫁ぎ、そして益男が亡くなる。この後の身の振り方について美津子は白川益男の二人の子供の母親として北海道に残ることに対し、

「何が幸福の種か、人間には区別がつかん。 もし美津子が辻堂と世帯を持っちょったらと思わんこともないが、幸不幸の帳尻は、その人間が死ぬ時に決まるもんじゃ」

◇ 増田伊佐男の母親に、熊吾の父亀造が言った言葉 (第二部)

 高知の色街から命からがら逃げてきた女ウマが、ちょうど嫁に死なれた増田家の後妻として嫁いだが、そやのに半年ほどで亭主に死なれてしまう。そのうち、宿毛の大工とええ仲になって伊佐男を産む。ててなし子をかかえて、食う米ものうなって、色街に戻るしかないと考えたんやろ。そやけんど、三つの子をつれて戻ることなんかできゃせん。 ウマちゃんは、伊佐男を自分の手で殺そうとしよった。 そのとき、あんたのお父さんの亀やんが、ウマちゃんに言った言葉

「この子が将来、どんな素晴らしい人間になって、自分をどんな幸福な母親にくれるんじゃろうと考えて、草の根を食うてでも頑張らにゃいけん・・・。」

あとがきより(作者の言葉)

 「海燕」の編集長(寺田博氏)から、宮本輝の‘父と子’を書かないかと迫られ、書き始めてしまった。 私は嘘を書きます。 そして、その隙間に本当のことを書きます。 しかし、それはどこかで逆になり、いつしか区別がつかなくなるでしょう。 それくらい、私の父は、息子である私にとっては不可解な人間でした。
 第一部を書き終えるのに、二年半の歳月を要しました。 おそらく第5部で完結するであろうこの小説の最後の一行は、あと十年後に震える手でしたためることになるのです。


余談1:
 自分が小学生の時か、次郎物語(下村湖人著)を読んで非常に感銘を受けたことを覚えている。 何故かこの「流転の海」を読んでいるうちに、そんな思いが湧いてきた。
父のこと、母のこと、妻のこと、家族のこと、色々なことを考えさせられる作品である。
是非読んでみて欲しい作品の一つである。
 余談2: 
 今回は敢えて背景画は入れないことにした。次回に第三部と第四部を載せる。

                    

                          

戻る