読後感:
この本を読んでいると、昭和21年の終戦当時4才位ほどであった自分が断片的にではあるが覚えている光景が思い出される。当時は物資も無く、3人の子供を抱えて、親父やお袋がよく育ててくれたんだなあと感謝の気持ちが湧いてきた。しかも、兵庫県西宮に住んでいたので、出てくる大阪や神戸の地名によけいに実感が湧いてくる。
松坂熊吾という父親のダイナミツクな人物像、妻の房江の生い立ち、周りの人達の義の心、情の暖かさ、人間の弱さ、醜さ、そういったものを織り交ぜ、ぐいぐいと読者に突き刺さってくる。 暗い内容の話もあるのにちっとも暗くなく、明るいのが良い。
重厚で、暖かくて、勇気を与えてくれる作品である。
印象に残る言葉:
作品の中には、含蓄のある言葉が多数出てくる。その一端を挙げる。
◇ 熊吾が生まれてきた伸仁を抱きながらいう言葉(第一部)
「お前が二十才になるまで、わしは絶対に死なんけんのお」と言い、
「お前に人間の見る目を持たせてやるけん。人の心が判る人になれ。人の苦しみの判る人間になれ。人を裏切るようなことはしちゃあいけんぞ。だまされても、だましちゃいけんぞ。この世は不思議ぞ。なんやら判らんが、不思議ぞ。他人にしたことは、いつか必ず自分に返ってくるんじゃ。ええことも、悪いことも、みんな自分に返ってくるんじゃ。そりゃ恐ろしいくらい見事になァ・・・。」
◇ 熊吾が房江に言う言葉 (第二部)
(房江の姉の美津子が、辻堂との結婚をあきらめ、白川益男の後妻として嫁ぎ、そして益男が亡くなる。この後の身の振り方について美津子は白川益男の二人の子供の母親として北海道に残ることに対し、
「何が幸福の種か、人間には区別がつかん。 もし美津子が辻堂と世帯を持っちょったらと思わんこともないが、幸不幸の帳尻は、その人間が死ぬ時に決まるもんじゃ」
◇ 増田伊佐男の母親に、熊吾の父亀造が言った言葉 (第二部)
高知の色街から命からがら逃げてきた女ウマが、ちょうど嫁に死なれた増田家の後妻として嫁いだが、そやのに半年ほどで亭主に死なれてしまう。そのうち、宿毛の大工とええ仲になって伊佐男を産む。ててなし子をかかえて、食う米ものうなって、色街に戻るしかないと考えたんやろ。そやけんど、三つの子をつれて戻ることなんかできゃせん。 ウマちゃんは、伊佐男を自分の手で殺そうとしよった。 そのとき、あんたのお父さんの亀やんが、ウマちゃんに言った言葉
「この子が将来、どんな素晴らしい人間になって、自分をどんな幸福な母親にくれるんじゃろうと考えて、草の根を食うてでも頑張らにゃいけん・・・。」
◇あとがきより(作者の言葉)
「海燕」の編集長(寺田博氏)から、宮本輝の‘父と子’を書かないかと迫られ、書き始めてしまった。 私は嘘を書きます。 そして、その隙間に本当のことを書きます。 しかし、それはどこかで逆になり、いつしか区別がつかなくなるでしょう。 それくらい、私の父は、息子である私にとっては不可解な人間でした。
第一部を書き終えるのに、二年半の歳月を要しました。 おそらく第5部で完結するであろうこの小説の最後の一行は、あと十年後に震える手でしたためることになるのです。
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