宮本輝著 『にぎやかな天地』




                  2009-04-25



(作品は、宮本輝著 『にぎやかな天地』  中央公論新社による。)

          
 

 2005年9月刊行

 宮本輝:
 1947年兵庫県神戸市生まれ。追手門学院大学文学部卒。77年「泥の河」で太宰治賞。78年「螢川」で芥川賞。など

 主な登場人物:

舟木聖司 32歳、25歳の時自分の過失で交通事故を起こし、死の恐怖を味わうなか、美術書を専門とする出版会社(大門社)が倒産、今は、倒産した社長(大門重夫)から紹介された松葉伊志郎から、「日本の優れた発酵食品に関する後世に残る書物」の出版を依頼される。
聖司の家族 ・祖母(篤子):29歳の時夫(大前政彦)と離婚、3歳になる一人息子を相手方に残す。32歳で再婚し路子を生む。路子が8歳になる前に二人目の夫も亡くなる。84歳で急激に痴呆症になる中、脳梗塞でなくなる。“ヒコイチ”という言葉を残して。
・父(佑司):聖司が生まれる2ヶ月前、ひったくり事件の逃げる犯人との人違いで転倒して死亡。
・母(路子):58歳、神戸市内の大きな病院に勤務していたが結婚して退職、夫の死後復職。その後請われて守口医院の看護師に。
・姉(涼子):聖司より3つ年上、看護師。
松葉伊志郎 72歳、正体は不明。
桐原耕太 写真家、聖司の仕事に請われて撮影を分担。
丸山澄男 料理研究家で顔も広く、聖司に料理本の製作を依頼。父親は天橋立で若い女(杉子)と心中。杉子は子供(倉吉総助)を夫の元に残し離婚、3年後に父親と深い仲に。丸山澄男はその後総助と交友を続ける。
大前美佐緒
(旧姓鳥飼)
大前彦市の息子道明の妻(35歳)、聖司の実家がある甲陽園から一駅離れた駅前で“トースト”という店を営んでいる。聖司はひそかに美佐緒に思いを寄せている。
滝井野里雄 世間ではイラストレーターとして評価される、一部の人からか認められていない絵描き。また楽譜を描いた豪華本を鳥飼家に残している。喘息持ちで若くして亡くなる。小学4年生の頃の美佐緒をモデルに遺作を残している。
佐久間久継 32年前、父をひったくり事件の犯人として誤って転倒させて死なせてしまった人物。その後32年間、亡くなるまで毎月2万円を母の口座に振り込んでいた。
妻:   娘:沙織
 

読後感

 予備知識なしで読んでいると、発酵食品に関する話も面白いし、大前美佐緒にまつわる何かミステリー的な要素もあり、また主人公の聖司自身及び、家族、阪神淡路大震災での死にまつわる厳粛な面も盛り込まれていて、引きづり込まれるところが多々あり、上下巻の長編にかかわらず、読み切ってしまったという感じ。

 中でも発酵食品のことについての乳酸菌、酵母菌などの製造場面の記述は面白い。身近なところでは糠漬けの工夫は是非やってみたいと思われるほど。おいしい漬け物を食べたい。
 今なら自分でやれなくもないなあと。

 小説の中には、味噌の作り方、鰹節の作り方、糠床の作り方など詳細な製造工程と職人さんの苦労など味と品質の工夫がいろいろと語られ、料理と健康に関する話も大変参考になり、こちらの方面でも参考となることが多かった。
 
 さて、発酵食品にまつわる詳細内容もさることながら、読み切ったところでこの小説の主題は何なんだろうと思ってしまった。なにも発酵食品についてではないと思われる。
 聖司と大前美佐緒との心の通い、聖司と大前彦市との接触を通し、祖母の思いを推測。また聖司を中心に丸山澄男との交友、佐久間久継の妻と娘との接触など、人生のいろいろが描かれている。それも長い時間を経てどのように変わり、つむられてきたか。
 
 はたして、後書きに著者の意図が記されていた。
 肉眼では見えないものが、時間とともに私たちの前に具現化してくる事物は数限りない。私はその一つの代表としての道具立てに「発酵食品」を使わせていただいて、それぞれの身に起こる災厄が、長い時間を経て、まったく逆のものへと変わることを「にぎやかな天地」という小説に中に沈めたかった。



印象に残る言葉、場面:

◇涼子との会話で (昨晩の若い当直医が、研修医になりたての頃大学の恩師から厳しい口調で与えられた教え)  

「そうやって必死で自分の中から引きずり出した勇気っていうのは、その人が求めてなかった別のものも一緒につれて来るそうやねん」
「その人のなかに眠ってた思いも寄らん凄い知恵と・・・」
「もうひとつは、この世の中のいろんなことを大きく思いやる心。このふたつが、自然についてくるそうやねん」
(この世の中のいろんなことに思いやりを持って、右往左往せず大きく包み込む心・・・)


◇聖司が大門重夫から聞いた話。

 大前美佐緒の父(鳥飼)に頼まれて大門社が作った、滝井野里雄(生涯、子供と犬の絵しか描かなかった線画の絵描きであり、本職は魚屋)が書いた楽譜の豪華本の最後に古代ラテン語で記した言葉:

 私は死を怖がらない人間になることを願いつづけた・・・・。
 だがそのような人間にはついになれなかった。
 きっと私に、最も重要なことを学ぶ機会が与えられなかったからだ・・・。
(一行不明)
 ならば、私は不死であるはずだ。
 
 滝井野里雄って人は、小さいときからひどい喘息で、小学校も六年間のうち、合計で三年ほどしか行ってない。中学生のときも、高校生のときも、発作を起こして何回も救急車で病院に運ばれた。結局、その喘息の発作で死んだ。

余談:

 読書のおかげでいろいろなことを学び、知識を得たり、興味が湧いて関心事が出来たりと、効能がちょくちょく出てくるようになってきたかも。

 背景は味噌づくりの味噌樽のフォト。

                    

                          

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