印象に残る場面:
荷車引きのおっさんが中古のトラックを今度買うよといい、最期の仕事に鉄屑を馬車で運搬していく場面の表現:
伸雄は店先の戸に背をもたせかけて、男と馬を見送った。
「おっちゃん」
男が振り返った。ただ何となく声をかけたのであった。
・・・
馬は船津橋の坂を登れなかった。何度も試みたが、あと一息のところで力尽きるのである。馬も男も少しずつ疲れて焦っていく様子が伝わってきた。車も市電も道行く人も、みな動きを止めて、男と馬を見つめていた。
「おうれ!」
男の掛け声にあわせて、馬は力をふりしぼった。代赭色の体に奇怪な力瘤が盛りあがり、それが陽炎の中で激しく震えた。夥(おびただ)しい汗が腹を伝わって路上にしたたり落ちていく。
「二回に分けて橋渡ったらどうや?」
晋平の声に振り返った男は、大きく手を振って荷車の後ろにまわった。そして荷車を押しながら、馬と一緒に坂を駆け登った。
「おうれ!」
馬の蹄がどろどろに溶けているアスファルトで滑った。信雄の頭上で貞子が叫び声を上げた。突然あともどりしてきた馬と馬車に押し倒された男は、鉄屑を満載した荷車の下敷きになった。後輪が腹を、前輪がくねりながら腕と首を轢いた。さらに、もがきながらあとずさりしていく馬の足が、男の全身を踏み砕いていく。
◇あとがきより(作者の言葉)
自分の小説の何処が悪いのかを糸口を与えてくれたのは、ある人の
「難しいことを難しく表現しているあいだは、まだまだ至っていないのである。本当にわかっていれば、どんな難しいことでも簡単に表現出来るはずだ」という言葉でした。
幼い私が歩いた大阪の場末の川のほとり、よるべなかった富山での短い生活、父を喪った直後の、食べるために必死でありながら怠惰(たいだ)によった歓楽の街・・・
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