宮城谷昌光著 『風は山河より』

                 
2009-01-25



  (作品は、宮城谷昌光風は山河より(一)〜(五)卷 新潮社による。)


          
         

初出:「小説新潮」2002年4月号から2003年3月号に連載。
本書: 2006年12月刊行


主な登場人物:

野田新八郎宗則
(別称 織部正)
入道になり不春と号する。

田峯菅沼の分家にあたる。野田の富永家の後嗣(こうし)になり、野田城の城主。東三河の牧野氏の今橋城を清康が攻め取るや、いち早く清康につき、その後の働きで清康に認められる。

野田定村
幼名 竹千代)

野田新八郎の嫡子。清康の元に人質として出される。元服して新八郎の名を継ぎ、織部正を名乗る。深溝松平家の又八郎好景の妹を嫁にして野田家に松平の血を入れ、定盈(さだみつ)をもうける。
野田定盈(さだみつ)
(幼名 竹千代)
野田菅沼家の三代目。武田信玄に敵ながらあっぱれと褒められて名をあげるまでに。
その影に四郎の働きがある。

四郎
元服後、野田四郎定則

新八郎定則は、豊川の河原でいわくのある童子を助け、野田家の猶子として育てることに。三代続く野田定盈まで仕えその洞察力をいかんなく発揮する。
今泉弥四郎 新八郎の家臣、家老今泉四郎兵衛の子。

松平清康
(世良田次郎三郎と号す。安祥三郎)

松平信忠の子、後の徳川家康の祖父にあたる。西三河から東三河の今橋城を攻め落とし、一気に三河を平らげ、岡崎を本拠にする。無限の優しさ(臣下にとっては無限の恐ろしさになりうる)を持つ。

松平広忠
(幼名 仙千代)

清康の嫡子。一時は岡崎城を離れ、流浪のみとなるも、一途に今川義元の言葉をよりどころに義を貫く。織田弾正忠信秀の心意気も心地よい。
松平元康
(幼名 竹千代)
(後の家康)
広忠とお大の方は鳳来寺山にこもり、男子誕生を祈る。その警護に野田新八郎の手のものが当たる。そして1年後同じ時に竹千代と野田家の竹千代が生まれる因縁も。
桜井松平信定 清康の父信忠の弟(叔父にあたる)、東三河熊谷氏の宇利城攻めで、清康に激しく痛罵され、その時の一事がのちに清康に凶変を招くことに。
阿部大蔵定吉 松平清康の忠臣、清康が横死した後、広忠を助け岡崎城に帰参させる。広忠に水野家の嫁(お大の方)を迎えさせ、後の家康を生むことになる。

伊賀十蔵
(岩瀬十蔵)

松平家を離れ熊谷氏に仕える岩瀬庄右衛門の臣下、後に新八郎に助けられ、岩瀬十蔵として新八郎に仕える。
織田弾正忠信秀 尾張での最大の豪族。松平家にとって驚異の人物。


 読後感:

 

 特別付録が面白い。なぜ著者が物語の中心人物である野田菅沼の定盈(さだみつ)を取り上げたか、そしてそこに至る野田菅沼家初代の定則、二代目の定村を描かないと三代目の定盈の人物像が描けなかったか。そして家康を生んだ松平家も松平(徳川)清康が三河平定を成し遂げ、二代目の広忠ではちょっと衰弱してしまうが、それでも滅びず、三代目の家康が大発展させる、これの両方の人物を描きたかったかと。また北条早雲が基を築いて、氏綱はその基盤を固め、そして氏康が発展させるというように三代をえがくことで、歴史の中で本当に作用してくる姿が描けるという。

 
 この野田菅沼家と松平家の三代はほぼ紙片のスペースは同じ程度にさかれていて、それぞれの人物の生き方が小気味よく描かれている。そして三代目の野田菅沼定盈(さだみつ)の登場は元康(後の家康)と同じ年に同じ薬師如来への祈願とともに生まれてきた因縁。そして野田菅沼定盈と松平家(徳川家)との結びつきの背景、酒井忠次との結びつきやら、お互い恵まれない境遇のことなど、歴史上よく知られる信長、秀吉、家康といったところでなく、むしろ脇の人間とか、それ以前の時代に登場している歴史を知り得て大変面白かった。


印象に残った所:

信玄が三方原合戦の前に、四郎が新八郎に言う言葉:

  「信玄が生きのびるすべは、三河では兵馬をとどめず、一戦もせずに通過することです。信玄の成功は、それしかない。それがはたされれば、殿と浜松殿の命運は尽きるでしょう。竹千代さまが野田のお家を再興するのも、かないますまい。」
 兵力300未満の新八郎と三万の兵を率いる信玄が戦って、新八郎が生き、信玄が死ぬという。


   


余談1:

 時にNHK大河ドラマが始まり、今まであまり知られていなかった上杉景勝、直江兼続に焦点が当たった歴史物語が楽しみである。歴史はいろいろな面から見て初めて全体像が理解できるので出来るだけ誇張しないで有り様を知りたいものである。
 

                               

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