物語の展開と読後感:
塩狩峠の表題は最期になって出て来た。北海道旭川から北に約30km、天塩(てしお)の国と石狩の国の国境にある大きな峠、深い山林の中を曲がりくねって越えるかなり険しい峠である。ここで起きた事件は明治42年2月人命救助のため実際に起きたことで、この時のことをベースにこの物語が書かれているという。
作者の三浦綾子も曾野綾子同様、クリスチャンである。物語の内容もキリスト教に関わる内容になつていくのに時間はかからなかった。
でも、自分の母が自分が産まれてすぐ、なくなったとして、祖母のトセに育てられていたが、父と菊人形を見に出掛けた道で、父をお父様と呼ぶ小さい子の出現から、思わぬ展開が始まる。
しかし、はじめはむしろ無宗教ないし、仏教の世界にあった信夫が、関係する人がキリスト教徒であることに、とまどいながらも、自らの疑問点(何故人は死ぬのだろうか、何故先の見込みのない病気の女性が、こんなにも生き生きと輝いた表情でいられるのか)に解を求めていくうちに、聖書の言葉に次第に興味を抱くようになり、最期の事件につながっていくことになる。
信夫の精神的に成長していく状態がすんなりと受け入れられるのも、作者三浦綾子の技量のうちと思われる。
印象に残る場面:
◇吉川修が信夫に(妹のふじ子について)言った言葉
「あいつはね、足が悪いだろう。だが、一度だって人の前に出るのをいやだと言ったことはない。平気で毎日買い物にもいくし、こうして東京に来ても、君の所に来る奴だ」「だがね、他の娘とはやはりどこか違うような気がするよ。よく本を読むんだ。ちっともひがんではいないようだし、自分の足のことなど、これっぽっちもぐちったことがないんだ。だがふじ子はね、足が悪いって、ある意味ではしあわせね、生きるということに対して、自覚的になるような気がするの、なんていうことはあるよ」
「考えてみると、世の病人や、不具者というのは、人の心を優しくするために、特別にあるのじゃないかねえ」
◇吉川ふじ子は佐川と婚約するも、発病して胸を病み、さらに脊髄をやられ、結局婚約破棄に向かう。
「死はすべての終わりではない」自分では信じていないその言葉を、ふじ子に告げてやりたいような気がしてならなかった。
(だがはたして、その言葉が人間にとって、本当に生きる力となるだろうか。生きる力はいったい何なのだろう)
◇「神は愛なり」 聖書の言葉
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