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三浦綾子著 『塩狩峠』


                   
2006-08-25

(作品は、三浦綾子著 『塩狩峠』 新潮社による。)

                

主な登場人物
永野 信夫

主人公、母はなく、祖母トセに育てられる。小3のとき、遊び友達の虎雄に屋根の上から突き落とされる。そのとき信夫の「町人の子なんかに落とされたりするものですか」に、父から厳しく怒られる。
父と菊人形を見に出掛けて、道で貞行を父と呼ぶ女の子に出逢い、それがもとで祖母のトセは脳溢血で亡くなり、母がいなかった真相が明らかになる。父の突然の死に、大学進学を止め、20才で裁判所の事務員になる。

   貞行 父、日本銀行勤めの温厚な士族。
   菊子 実の母、キリスト教信者。
   待子 信夫の妹、キリスト教信者。
吉川 修

小4のとき、お化けの存在を確かめようとの約束に、雨の日にたまたま二人だけしか集まらなかった。それを機に信夫と大の仲良しになるが、修の父が酒飲みで、借金取りに追われ、ある日姿を消す。
その後何年かして札幌にいる修から、手紙が来て再び交際が始まる。

   ふじ子 吉川修の妹、キリスト教信者。生来のビッコのことも気に掛けず人前にでることをためらわない。婚約をするも、肺病を患い、さらにカリエスにも犯され、誠実な婚約者も、やむをえず他の人と結婚してしまい、失意の人となる。しかし、明るさを失わず、いきいきした表情でいる。信夫が折々見舞いに送った押し花が壁にズラリと貼られている。
和倉 礼之助 信夫が北海道にきて勤め先の炭鉱鉄道株式会社の上司。
   美沙 和倉の娘。信夫と結婚する話が進められるも、そのことがきっかけで、信夫はふじ子と結婚する決心をする。そして残された美沙は三堀と結婚する。
三堀 峰吉 不詳事件を起こし、信夫の和倉への進言で取りあえずおさまる。その後和倉、三堀、そして信夫は、旭川に行くことになり、物語の終局を迎える出来事が待っていた。


物語の展開と読後感:

 塩狩峠の表題は最期になって出て来た。北海道旭川から北に約30km、天塩(てしお)の国と石狩の国の国境にある大きな峠、深い山林の中を曲がりくねって越えるかなり険しい峠である。ここで起きた事件は明治42年2月人命救助のため実際に起きたことで、この時のことをベースにこの物語が書かれているという。

 作者の三浦綾子も曾野綾子同様、クリスチャンである。物語の内容もキリスト教に関わる内容になつていくのに時間はかからなかった。

 でも、自分の母が自分が産まれてすぐ、なくなったとして、祖母のトセに育てられていたが、父と菊人形を見に出掛けた道で、父をお父様と呼ぶ小さい子の出現から、思わぬ展開が始まる。

 しかし、はじめはむしろ無宗教ないし、仏教の世界にあった信夫が、関係する人がキリスト教徒であることに、とまどいながらも、自らの疑問点(何故人は死ぬのだろうか、何故先の見込みのない病気の女性が、こんなにも生き生きと輝いた表情でいられるのか)に解を求めていくうちに、聖書の言葉に次第に興味を抱くようになり、最期の事件につながっていくことになる。

 信夫の精神的に成長していく状態がすんなりと受け入れられるのも、作者三浦綾子の技量のうちと思われる。


印象に残る場面:

◇吉川修が信夫に(妹のふじ子について)言った言葉

「あいつはね、足が悪いだろう。だが、一度だって人の前に出るのをいやだと言ったことはない。平気で毎日買い物にもいくし、こうして東京に来ても、君の所に来る奴だ」「だがね、他の娘とはやはりどこか違うような気がするよ。よく本を読むんだ。ちっともひがんではいないようだし、自分の足のことなど、これっぽっちもぐちったことがないんだ。だがふじ子はね、足が悪いって、ある意味ではしあわせね、生きるということに対して、自覚的になるような気がするの、なんていうことはあるよ」

「考えてみると、世の病人や、不具者というのは、人の心を優しくするために、特別にあるのじゃないかねえ」

◇吉川ふじ子は佐川と婚約するも、発病して胸を病み、さらに脊髄をやられ、結局婚約破棄に向かう。

「死はすべての終わりではない」自分では信じていないその言葉を、ふじ子に告げてやりたいような気がしてならなかった。
(だがはたして、その言葉が人間にとって、本当に生きる力となるだろうか。生きる力はいったい何なのだろう)

◇「神は愛なり」  聖書の言葉



余談1:
三浦綾子の略歴を見ると、1922ー1999、旭川市生れ。小学校教員を敗戦後に退職。娘時代から肺結核、脊髄カリエス、直腸癌、パーキンソン病とつぎつぎに難病におそわれる。だがその病気をありのままに受けとめ、時にはそれを糧に小説やエッセイを書く。そういう経験からキリスト教信仰に向かっていったことが理解出来る。

 

背景画はインターネットHP ”モンゴルの風”  日本の鉄道 宗谷本線「塩狩峠1972-1974」のフォトより

                    

                          

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