三浦綾子著 『細川ガラシャ夫人』



               
  2007-12-25

(作品は、三浦綾子選集第7巻 主婦の友社 『細川ガラシャ夫人』 による。)

                    
 

 昭和48年1月から昭和50年5月まで「主婦の友」に連載。
 平成13年6月刊行


◇主な登場人物

明智光秀

美濃の豪族土岐氏の出。明智城主頼光の一子。斎藤道三に襲われ、浪々の日々を送り、軍学、築城の技術を学び、武芸に励む。
朝倉義影に客礼を持って迎えられ、その時細川藤孝と懇意になる。

  ひろ子 玉子の母、光秀の妻。光秀の許嫁であったが、婚約の前、疱瘡で顔に痘痕ができ、替わりに妹の八重を嫁入りさせたが、光秀はひろ子を妻として迎える。貧困時代、夫光秀が客をもてなすのに黒髪を売って凌いだという。

  玉子
(洗礼名:ガラシャ)

光秀とひろ子の娘。細川忠興と結婚。利発で負けず嫌い、美人で気品高く、ともすれば高慢に振る舞うこともあった。
忠興が九州に戦に出ている間に洗礼を受ける。

細川藤孝
(剃髪後の名:
     幽斎)

和歌、茶道に優れ刀剣鑑定家でもある。礼儀作法に関しては公家よりも詳しい。信長が光秀により暗殺された後、光秀側より支援を求められたとき、信長公の喪に服すると剃髪しての名を細川幽斎と称する。
細川忠興 藤孝の嫡男。忠興と玉子の縁組みは信長の命によるもの。信長のおぼえも良く、性格も男らしいが、嫉妬深い面があり、美しい玉子を人に取られたり、特に好色の秀吉には見せたがらず、邸内に留めさせる。家康と石田三成の戦では、家康側につくが、三成が人質を取りに攻めてきたら、自害する覚悟を言い含め戦に出る。
細川興元 藤孝の次男。密かに玉子のことを慕っていて、子供が出来たら養子に欲しいという。

清原佳代
(洗礼名:マリヤ)

清原家は細川家の親戚に当たる高位の公家。熱心なキリシタン。
玉子に侍女として仕える。

高山右近 キリシタン信者。高潔な人柄に玉子は心密かに尊敬の念を抱く。

読後感:

 細川ガラシャの辞世の句が小泉元首相の退陣挨拶、さらに前では細川護煕(もりひろ)元首相の退陣の言葉に引用されたという。

 「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ、人もひとなれ」
 を発した状況を知りたくて本作品を手にした。

 明智光秀の娘玉子、細川忠興との結婚により細川玉子となり、侍女となる清原佳代、高山右近の影響を受け、洗礼を受けて後、洗礼名“ガラシャ”(恩寵=オンチョウの意味)となり、最後は徳川家康側に家運を賭け組したため、石田三成の勢力により人質要求の犠牲となるガラシャ夫人の生きざまが克明に展開されている。

 光秀の苦悩、細川忠興の人となり、玉子の信条の変化など著者の創作が入っているとはいえ、歴史小説としても大変興味深いものであった。

 以前天橋立を訪れたことがあったが、このあたりが細川家の領地であり、玉子が幽閉されていた地(味土野=ミトノ)に近いことを知り、なおさら身近なものと感じられた。

印象に残る言葉:

◇ 玉子が子供の頃母のあばた顔を手で触れておかしいと笑った時に、光秀が怒り、きらりと光るものを見せて言う言葉:

「そなたは自分を産み育ててくれた母の顔を、不様だと笑ったのだそ!人間と生まれて、わが母を笑う子など、この父の子ではない!」
「・・・・」
「そなたは、自分の顔が美しいと思って、傲慢にも思い上がっているのじゃ。だがお玉、母はそなたよりも、ずっとずっと美しかった。その美しさも、気の毒に疱瘡でそこなわれたのだ」
「・・・・」

「よいか、お玉!顔や形の美しさというものは、そのようにそこなわれやすいものじゃ。だが、父は母を美しいと思っているぞ。母は自分の顔が醜くとも卑下はせぬ。卑下はせぬが、謙(へりぐた)った思いで生きている。謙遜ほど人間を美しくするものはない。その反対に、いくら眉目形が整っていようと、お前のように思い上がったものほど、みにくいものはない!」
「・・・・」
「お前の顔形も、この父が刀で切りつけたなら、たちまちみにくく変わるのだ。お玉、そなたの傲慢をうちくだくために、今、その鼻と頬に、父が傷をつけてくれようぞ!」
 ・・・・

「よいか、人間を見る時は、その心を見るのだ。決して、顔が醜いとか、片足が短いとか、目が見えぬなどといって嘲ってはならぬ。又、身分が低いとか、貧しいなどといって、人を卑しめてはならぬぞ、お玉。人間の価は心にあるのじゃ」

◇ 荒木村重が謀叛(村重の嫡男村次に玉子の姉倫が嫁いでいる。)との噂を興元から玉子が聞いたことを、父藤孝から聞いたと偽った為に、忠興が父藤孝に問いただす出来ごとのなかで、細川藤孝が忠興に玉子のことについて言う言葉:

「玉子はそなたにとっては平蜘蛛の釜であろう」
―――信長が松永弾正の謀叛に対し、平蜘蛛の釜を差し出して降伏せよと使者を使わしたが、弾正はその秘蔵の名器を城の上から地上に叩きつけて壊し、火のまわった城内で自害して果てた。

 


                
        ◇細川ガラシャ夫人が幽閉されていた丹波半島の味土野(左フォト)    ◇大阪玉造教会のガラシャ夫人像(右フォト)


余談:

「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ、人もひとなれ」という句を聞いて、細川ガラシャの辞世の句と判るような知識を持ち合わせることは素敵な老後といえるのでは。

背景画は内表紙を利用、フォトは作品中のフォトを利用。

                    

                          

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