物語の展開:
舞台は北海道上富良野に近い山間の日進部落周辺。30年前福島から開拓農民として北海道に移り住んだが、土地も持たない小作農の生活に甘んじている、祖父と祖母。父を亡くし、母は訳あって札幌にいる、祖父と祖母に育てられる2人兄弟と2人の姉妹の4人の子供達を中心に、剛毅な人間や成長していく若者やひたすら受け身な女性と勝ち気な女性や醜悪な人間やその他さまざまな人間たちの織りなすまさに人間的なドラマが展開される。子供から次第に大人に成長していく様々な生活の中で、小学生時代、進路、生活、恋、世の中の矛盾などがテーマにぐいぐいと進んでいく。そのような状況の中で、最後の2章にきて今までわずかに語られていた十勝岳の大噴火(1926年に発生した実話をベース)による泥流が村を襲う時を迎え、事態は一挙に暗転に向かう。
印象に残る場面:
◇耕作が、「色々石村家に不幸(父さんは山で死ぬ。母さんは病気になる。ばっちゃんは中風に当たる。)がおこるのは祟りか」との問いに、市三郎の言葉
「祟られてなんかいねえ。第一祟りなんかねえ。聖書に書いてある限りではな。神罰があるだの、仏罰があるだのって、人間の弱みにつけこむような教えは、本当の教えじゃあんめえ」「だけど、どうして辛いことや苦しいことが、あるんかなあ」拓一は福子のことを思いながら言う。「辛いこと、苦しいことを通して、神さまが何かを教えてくれているのかも知れんな。つまり、試練だな」
◇小学校高等科での研究授業の後、視学が耕作にかけた言葉
「君の家は何をしてるのかね」「農業です」「なるほど惜しいなあ」「・・・・」
「頑張って勉強し給えよ。人間の一番の勉強は、困難を乗り越えることだ」思わず耕作は、視学を見上げた。白髪の視学は、どこか祖父の市三郎に似ていた。やさしい顔だが、ちかりと光る目をしていた。
◇耕作が節子の顔に傷を負わせた事件で、深城鎌治に祖父の市三郎の言った言葉
「あんた、女の子の顔に傷ばつけた、女の子の顔に傷ばつけたと、何べんも言いなさる。そりゃ無理もねえ。だが、このくれえの傷は何日もせんうちになおる。しかしな、大事な母親の悪口を言われてな、わしらの孫らの心に受けた傷は、生涯なおらんかも知れんでな、顔の傷と、心の傷と、どっちが大事か、あんた知らんのかの」
「きまってらあ。顔の傷じゃ。その証拠に、人の体に傷をつけりゃ、駐在にしょっぴかれるが、悪口ぐらいでしょっぴかれた話は、聞かんわ。万一、この子の顔に傷が残ったら、一体どうしてくれるんだ。」大仰な言い分だった。それを聞いた耕作が叫んだ。
「おれがもらってやる!」
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