読後感:
昔映画で見た場面の青函連絡船層雲丸が台風にあって沈没し、その荒れた海を人が右往左往している様子が思い出され、また三国蓮太郎と左幸子の顔がぼんやりと浮かんでくる。昭和40年度の日本映画記者会の映画賞は、監督賞(内田吐夢)、主演女優賞(左幸子)、主演男優賞(三国蓮太郎)、助演男優賞(伴淳三郎)のすべてをさらったという。
この作品は実におもしろい。推理小説ではあるが、何と言っても人物像がしっかり描かれているし、時代背景や風土が作品にぐっと重みをつけていて重厚な作品と言える。
松本清張の社会派推理小説の点と線にも通じるような感じである。
どうしてこんな風に重厚さが伴ってくるのかと考えてみた。新田次郎の言葉、文筆家の実力というのは作品の最後まで読者を引っ張れるかだ。佐藤愛子の言葉、物書きになるには日常の事柄を詳細に記述することを練習するようにといった内容であった。思うにすべての優れた作家というものには当てはまっていると思う。物書きもなかなか大変な仕事だなあ。
あとがきに、この作品は「週刊朝日」に昭和37年1月から12月まで連載したが、完結しなかったので、連載打ち切り後に、約半年かかって五百三十枚ばかり書き足して一冊本にして朝日新聞社から刊行されたという。
“犯人樽見京一郎の人間像の描写に心をつくした”とあり、“いったん書き出すと登場人物どもが勝手にうごき出して、それぞれの垣根を出たがる。じつは、この出たがる主人公達の手綱がとれないほど生きてきた人間に、私は、勝手にほくそ笑んだのだった”とあることでなるほどと思った。
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