水上 勉著 『飢餓海峡』






              2008-03-25




   (作品は、水上勉著 飢餓海峡(上)(下) 改訂決定版 河出書房新社 による。)


                
 

1963年(昭和38年)朝日新聞社刊。
「飢餓海峡」(上)(下)2005年(平成17年)1月刊行。
あとがきより:
 改訂決定版は新潮社文庫版及び中央公論社全集版の作品の誤字や、思いちがいの点を直した。(1995年1月)

主な登場人物:

杉戸八重 青森下北半島湊町の「花家」に働く娼婦。犬飼多吉に大金を貰い、その後東京に出て来て、辛苦を嘗めながら七年、新聞の三面に出た犬飼多吉に似た篤志家樽見京一郎を尋ねることから事件に発展する。

樽見京一郎

(犬飼多吉)

妻:敏子
網走刑務所を仮出所した木島、沼田の二人と組み、岩幌の質屋一家殺人放火に関わる人物。杉戸八重に盗んだ金の一部を与えたことで、十何年後に杉戸八重に正体を暴かれることに。そして第二、第三の殺人事件へと・・・。樽見京一郎の過去が暴かれることに。
弓坂吉太郎 函館警察署捜査一課警部補。岩幌の質屋一家殺人放火の犯人と目される犬飼多吉を執拗に追う。
田島清之助 岩幌警察署巡査部長。青函連絡船層雲丸遭難での二人の身元不明死体に疑念を抱く。
巣本虎次郎 網走刑務所看守部長。岩幌の質屋一家殺人放火の犯人を仮出所した沼田、木島の二人ではないかと田島を訪ねる。
味村時雄 舞鶴東署警部補。杉戸八重と樽見京一郎の書生が心中事件を起こしたことに疑念を感じ、追求する内に意外な事実をつきとめ、事件の真相を掴むため弓坂吉太郎と協力して十年前の樽見京一郎の足跡を暴くことに奔走する。



読後感:

 昔映画で見た場面の青函連絡船層雲丸が台風にあって沈没し、その荒れた海を人が右往左往している様子が思い出され、また三国蓮太郎と左幸子の顔がぼんやりと浮かんでくる。昭和40年度の日本映画記者会の映画賞は、監督賞(内田吐夢)、主演女優賞(左幸子)、主演男優賞(三国蓮太郎)、助演男優賞(伴淳三郎)のすべてをさらったという。

 この作品は実におもしろい。推理小説ではあるが、何と言っても人物像がしっかり描かれているし、時代背景や風土が作品にぐっと重みをつけていて重厚な作品と言える。
松本清張の社会派推理小説の点と線にも通じるような感じである。

 どうしてこんな風に重厚さが伴ってくるのかと考えてみた。新田次郎の言葉、文筆家の実力というのは作品の最後まで読者を引っ張れるかだ。佐藤愛子の言葉、物書きになるには日常の事柄を詳細に記述することを練習するようにといった内容であった。思うにすべての優れた作家というものには当てはまっていると思う。物書きもなかなか大変な仕事だなあ。

 あとがきに、この作品は「週刊朝日」に昭和37年1月から12月まで連載したが、完結しなかったので、連載打ち切り後に、約半年かかって五百三十枚ばかり書き足して一冊本にして朝日新聞社から刊行されたという。

“犯人樽見京一郎の人間像の描写に心をつくした”とあり、“いったん書き出すと登場人物どもが勝手にうごき出して、それぞれの垣根を出たがる。じつは、この出たがる主人公達の手綱がとれないほど生きてきた人間に、私は、勝手にほくそ笑んだのだった”とあることでなるほどと思った。


印象に残った所:

 樽見京一郎の吐露:
 わたしがいま、ここに一切を吐露して頑強にかくし通してきた鉄壁のような城を自分の手でこぼつ決心がついたのは・・・その・・・わたしが、十年前に手にした金を包んでいた古新聞と・・・私の髭を剃った安全剃刀を大事にしてくれていた八重さんの心に負けたからなんだ。八重さんにすまないことをした。・・・わたしはあなた方に屈服したわけではない。わたしは八重さんの真情に打たれた真人間になり得た。その為に自白の勇気が出たんだ。


   


余談1:
 今年の3月は、青函連絡船が開設して100年、青函トンネルの開業にともない終航して20年になるという。知らなかったが、これも何かの縁かも。 
 

背景画は青函連絡船摩周丸のフォト。

                               

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