皆川博子著 『冬の旅人』




 

              2010-01-25


 (作品は、皆川博子著 『冬の旅人』  講談社による。)

            
  

 2002年4月刊行

 

 皆川博子:

1930年京城生まれ。東京女子大学外国科中退。児童小説でデビュー。ミステリーから幻想小説、時代小説など幅広いジャンルにわたり活躍を続ける。

73年「アルカディアの夏」で第20回小説現代新人賞を受賞。 85年「壁・旅芝居殺人事件」で第38回日本推理作家協会賞長編賞、86年「恋紅」で第95回直木賞、90年「薔薇忌」で第3回柴田錬三郎賞、98年「死の泉」で第32回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。 

  

主な登場人物:


川江環(たまき)
(タマーラ)

日本人の画学生(駿河台の日本露西亜正教伝導会から聖像画の画法を習得目的で17歳の時に派遣される)。規則違反で独房に閉じこめられ、夢か現実か分からない数奇な経験をし、フェブロニア女学院を脱走する。そのあとの数奇な人生は・・・。

ボリース・レミゾフ
後妻 花乃
息子 フェージャ

聖歌の教師、環の身元保証人、環の異母妹花乃の夫、モスクワ住まい。環はボリースの顔は二度と見たくない経験をしているが、ボリースの先妻の子フェージャには心引かれるものを感じている。フェージャは誰ともほとんど口をきかない白痴の子。「ルサルカ」という言葉を吐く。「ルサルカ」とは・・・・
ヴォロージャ 芸術アカデミーの学生。学生展に自分作品と環の作品も自分の名前で出品、トレチャコフの目にとまる。革命派の学生として謝って捕らえられ、5年間の西シベリア送りとなる。
サーシャ 芸術アカデミーの学生。ヴォロージャが間違って逮捕された時、環の助けの求めに手をかさず。
リョーリャ 環の学友。環の行為を革新的と評価。
ソーニャ フェブロニア女学院で下働きの女、献身を喜びとし、タマーラを崇拝している。
バーヴェル・トレチャコフ 美術収集家。ヴォロージャの名で出品した「ルサルカ」をコレクションにいれ、ヴォロージャをなにかと支援する。

エフィム・ラスプーチン
息子 兄ミーシャ
   弟グリーシャ

ポクロフ村の有力者。昔帝国郵便の馭者、ヴォロージャとタマーラが西シベリアに流刑で送られてきた時、援助する。
兄弟の中でグリーシャの行動は異常、命を助けられたとタマーラを崇拝し、その後スターレツ(説教師)として皇帝一家にも頼られることに。

ニコライ二世
皇后 アレクサンドラ
(ドイツ人)
皇太子 アレクセイ

露西亜皇帝(ロマノフ王朝最後の皇帝)。
長女 オリガ、次女 タチアナ、三女マリーア、末っ子 アナスタシア。

アンナ・アレクサンドロヴナ・タニェエヴァ 皇女の年若い友人。タマーラを皇后に引き合わせる。

小説の概要:

 1880年、17歳の川江環は、日本人で初めて画学生として留学をゆるされ、ペテルブルグに渡る。 欲望と情熱が渦巻く革命前夜の露西亜…。「死の泉」から5年、待望の大河歴史ロマン大作。


読後感
 

 

ロシアの大河歴史ロマンの大作ということで先にドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」を読んだ時からロシアの正教会のことや歴史を知らないと、との思いそして絵画を学ぶ主人公に興味を覚え、読み始めた。

どういうところが魅かれるのかよく分からないけれど、何故か引きつけられる物語で、外国にいる雰囲気、広大なロシアの中を異動する様子、貧しい人間と豊かな人間の差、聖像画の意味合い、修道院での生活、画学生の生活模様など興味深い。

17歳の時に画学留学生として露西亜にきてから24年間この国(露西亜)で生活し、清国の内乱を契機に、日露が同時に宣戦を布告、旅券もとうに切れ、帰国せずにこの国にとどまるとしたのに、間諜の疑いをかけられて自分が誰かの証明を求められ、なすすべなく、投獄、放置されてしまう。いままでの数奇な生涯にやっと安住の希望が見えてきたのに、自分がいったい何者なのかを突きつけられる。祖国を離れるということがこういうことなのかと思い知らされる心境がなんとももの悲しい。

この作品、著者の年齢からいくと70歳を超えての出版ということに、こんなエネルギーあふれる作品を書けることに感服する。ロシアのロマノフ王朝崩壊の歴史をかいま見たようで、フィクションが絡められているとはいえ、ロシアという国の首都と地方の風土、貧困層の生活の模様などを知り、さらにロシア文学を読んでみたくなった。

それにしても、画家を職業にしようとするヴォロージャに対し、絵を描くことに興味を持ち、何を描くか、どのように描くかが時によって次第に変化してくる様は多少絵に興味を持つものとしての納得も、この作品を面白く読ませてくれた。

 また、若くして性を破戒されてしまった経験から精神と肉体が伴わないあたりの表現は控えめで嫌みは感じられず、むしろ理解できる風であった。

神を信ずる迄には至らない主人公が、フェージャをみて幸せを感じ、最後は皇太子アレクセイを何とか助けたいと思うに至る。ラストの場面は異様というか、それまで夢か幻想の場面が次第になくなりつつあったのが、ここにきて現実の行為になって実行されてしまうところは狂気迫るものがあった。


  

余談:

 今ドストエフスキーの「罪と罰」を読み出している。主人公のラスコーリニコフの住んでいるペテルスブルクは「冬の旅人」での場面にも登場していてかつ、貧民窟の描写のイメージが「罪と罰」でも重なってきてイメージが膨らむ。そんな読書の効能もある。

 

 背景画は、イコンのフォトより。イコンとはキリスト教において神や天使や聖人を記念し象徴として模られた絵や像で敬杯の対象とされるもの。聖像画のこと。

                    

                          

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