道尾秀介著 『光媒の花』
   





             
2011-08-25


(作品は、 道尾秀介著 光媒の花     集英社による。)


          
 

初出 「小説スバル」
   第一章 隠れ鬼  2007年4月号
   第二章 虫送り  2007年10月号
   第三章 冬の蝶  2008年9月号
   第四章 春の蝶  2008年10月号
   第五章 風媒花  2009年1月号
   第六章 遠い光  2009年3月号
本書 2010年3月刊行

道尾秀介:
 1975年東京生まれ。 2004年「背の眼」で第五回ホラーサスペンス大賞受賞し、デビュー。 07年「シャドウ」で本格ミステリ大賞受賞。 09年「カラスの親指」で日本推理作家協会賞受賞。 その他「龍神の雨」、「向日葵の咲かない夏」、「ソロモンの犬」、「鬼の跫音」など。 ミステリー、ホラー、文芸などのジャンルを超えた作品は、毎回、圧巻の筆力で読者を思いも寄らない光景へと導き、大きな注目を集めている。

主に登場人物:

<第一章 隠れ鬼> 痴呆の母親の絵から昔の殺人のことを思いだす。

遠沢正文(私)
母 塔子

遠沢印章店を営む。40才半ばで妻も子供も居ない。母は5年前から認知症に。父親は30年も前に自殺。
<第二章 虫送り> 河原での妹を辱めたホームレス男への殺人と嘘。
僕と妹 小学4年生の僕と二つ違いの妹(知佳)。河原に虫捕りに行って対岸にいる誰かを認める。
おじさん ホームレス殺人のあった後対岸に確認に行った時声を掛けた男の人。「死んでいい人間なんて、この世にいないんだよ」と。
<第三章 冬の蝶> 河原で出会い惹かれた女の子(サチ)の家庭の状況を目にして、サチの現実を救おうと「俺が、あの男を殺す」と。
おじさんの若い頃 昆虫好きで昆虫学者になる夢を持つ。河原でサチと会うようになり惹かれていくが、いつも6時前になるとサチは帰っていくため意地悪をしたことで・・・。
サチ 同じクラスの女の子。一年前に父親がいなくなり、母親は狂っている。
<第四章 春の蝶> 牧川老人の家に泥棒が入りお金が盗まれる。娘に嫌われている父親(牧川老人)と娘と孫との生活が始まる。
サチ(わたし) 泥棒が入ったことをきっかけに、集合住宅の私の隣の部屋に住む牧川老人と由希と話をするように。
牧川老人と孫(由希) 夫の不倫で娘夫婦が離婚、心的に聞こえなくなった由希と娘が一月ほど前から牧川老人の所にやってくる。
<第五章 風媒花> 風が花粉を運ぶ花を風媒花という。自分は姉のことを風媒花だと思っていた。

(りょう) (23才)
 (26才)

トラックの運転手。危うく河原で少女を轢きそうになり、初めて「死」という言葉を生々しく感じる。父の死後、母を嫌って避けている。姉は小学校の教師で今年初めて担任となる。食堂にポリープがあり入院するが長引く。亮に「もしあたしがいなかったら、どうするの?」と。

<第六章 遠い光> 最近ふとしたとき頭の奥のほうに白い光が見える。その光のイメージが、いままた見えてきた。そしていま、ようやくわたしは答えを見つけていた。
女の先生(わたし) 小学4年生の初めての担任。朝代のことで教師を辞めることを意識する。

木内朝代
(新しい姓 藪下)

勉強は出来るが、おとなしく口数の少ない母子家庭の生徒。母親が結婚することになり、動揺して朝代が子猫に石を投げる事件が起き、教師の能力のなさを痛感させられる。


物語の概要: 図書館の紹介文より

   痴呆の母を抱える中年男性、ホームレス殺害に手を染めた小学生の兄妹…。大切な何かを守るため、人は悲しい嘘をつく。1匹の蝶が絶望の果てに見た光景とは…。人間の弱さと優しさを描く連作長編。 

感読後感:

 短編の連作である本作品は、第一章の「隠れ鬼」のすごい感動により、後に続く章ではさらなる感動を期待してしまう。 それぞれを初めて読めば第一章と同じく感動すると思われるのに、人の慣れは恐ろしいものでそのレベルが普通になってしまって、それ以上のものでないと感動しなくなってしまう。
 そういう点で連作というものの怖さを感じる。 初出の場合には上に記したように時間が経過して読み始めるので単行本とは違って読者には印象づけられたことであろう。 そんなことをまず感じてしまった。

 さて、作品の中でも最初の「隠れ鬼」は中学2年生の時に夏休み長野の別荘に行って水楢の樹林の笹のある小路で出会った年上の女性を見初め、それから毎年のように出会うことに待ちこがれ憧れてしまう。 その心情が読者に伝わってきて、その憧れの女性が父と親しかったことを知ったときの怒りが殺人まで引き起こしてしまっていたなんて、なんとも切ない。 その描写がストーリーの展開の仕方、くどくととした詳細の描写でなく表述の簡潔さが余計におどろきとそのときの怒りの大きさを表しているようである。

 そして、そのまま母親や当人の心に刻まれまたまま何十年が経ってしまって年取って痴呆となった母親の行為に現れるところにまた思い起こされる。
 6作品を読んでみて、なるほどうまくつながってそして最後に遠沢印章店の店主と老婆の会話に朝代と女先生との心の交流がみごとに凝縮されていたことに希望の光が見えたようである。 最初と最後の章がやはり特に印象深いかなと思えた。 でもよく粒の揃ったいい作品ばかりだと偉そうにも感じたところである。
 もっとこの著者の作品を読んでみたくなった。

印象に残る表現:

 第三章 冬の蝶

 昆虫学者になるのが夢といったわたしにサチが「一生懸命頑張れば、この袋の中に世界中の虫を捕まえることだってできるんだよ」「虫だけじゃないよ。世界を全部入れちゃうことだって、できるんだよ」といっていた。彼女は何を言っているのだろう?:

 たくさんの人声と足音と、赤色灯の光の中で、私はサチの置いていった紙袋を呆然と見下ろした。袋は、裏表が逆さまになっていた。サチは紙袋を裏返し、その内側に、幸せだった頃の想い出を仕舞っていたのだ。いや違う、内側ではない。彼女にとっては内側はこの世界の方だった。世界のすべてを、現実のすべてを、自分自身でさえも、サチは紙袋の中に閉じこめた。袋を裏返し、口を固く縛りつけることで。

 そして、閉じ込めた世界の外側にいるのは、幸せに笑っている自分だった。サチはいつでも、この無慈悲な世界の外側にいた。両親と並んで立ち、微笑んでいた。そうやって、彼女は生きていた。そうしなければ生きられなかった。
 だか、その袋が破れた。私が破った。見えない破れ目から現実が流れ出し、その途方もなく冷酷な現実に立ち向かうため、彼女は冷たい刃物を握った。
――またね――
 玄関を去り際、サチが聞かせた声が、私の全身に溢れ返っていた。河原で初めて言葉を交じわしたときの彼女が見えた。・・・・

   


余談1:
 作品を読んでいて印象に残ったり感動して心に湧き出てくる感想はその場でメモしておかないと、後になって記録にとめようとしてもなかなか思い出せないことがよくある。
 読みながら、また読んだ後胸の中に沸々と沸き上がったり、ずしんと胸に残る作品というのは、そうたびたびあるわけではないが、そんな作品に出会えると読書が楽しくて堪らない。

 この作品もそう言う種類の作品である。
余談2:
 作品の題名の付け方について。 本の題名はその本の価値を大きく左右する。勿論その売り上げにも。 そして「光媒の花」とされたことについて考えてみた。
 内容的に第一章と第六章、そして第三章からとるのが妥当かなと思ったが、ちょっと訴えるものが平凡かな。第五章の「風媒花」が面白いが内容的にはイマイチ弱いかな。
 そこで第六章の「遠い光」ともつなげ、「光媒の花」になったのではないかと推測した。
 はたしてどうか?

                               

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