この本は昭和十二年十一月十九日から書き始めて、昭和四十三年十一月までの一年の日々、どんな悲しみ、どんな喜びが待つ日々なのか、そんな日々の出来事、そんな日々の思いを克明に綴ったものである。そして自分(松下竜一)三十歳、妻十九歳、まさしく私と妻の「青春の書」である。生涯でただ一册しか書けない「青春の書」であると記されている。春夏秋冬の章立てのなかには、朝日歌壇に投稿し、入選したもの、外れたものを織り交ぜ、その時々に歌った短歌がびっしりとちりばめられている。
読後感:
書きはじめるを読み始めて、瞬時にこの本は読むのが楽しみで、落ち着いた環境で、静かに読みたいと感じた。
読み始めると、清貧の生活と、どうしようもない寂しさ、何とも言えないすがすがしさで自然に涙が溢れてきて、花粉症の初めもあり、ティツシュが手放せなくて困った。
豆腐を作ることの大変さ、その頃からも機械化が進んできているが、貧しさだけの理由でなく、人の手で、じっくりと本当にものをいとしみつつ造ることで出来上がつたものに値打ちが出るというこだわり。
肉体的に病弱の上、母が若く急逝、弟たちの無頼などで、一時は自殺をしようと家出をしたが、イタリア映画の「鉄道員」に見た幼い子供の姿、末弟の満が自分を頼っていることを考えると、思い返し、そんな中から、歌を詠むことで慰め、やがて自分を立ち直らせた。
姉、兄弟、そしてやがて増えてきた家族たちとの「ふるさと通信」を通してまとまりが出来、いたわりあう姿に救われる。
貧しさの中でも、妻との会話、老父と姉や弟たちとの間の思いやりが溢れる。小冊子の歌集「相聞」のことにまつわるマスコミの影響の大きさ、歌を愛する人の多さの話には、改めて驚かされる思いである。
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