物語の概要:(図書館の紹介記事より。)
「大切な人の死」で知る悲しみと、その悲しみの先にある未来。 誰もが自分の人生を生きている。何気ない日常のふとした瞬間がこの上ない宝物に思える珠玉のエッセイ20編を書き下ろしで収録する。
読後感:
久しぶりのエッセイを読んだ。読後感はどう記したらいいものかと、過去のものを見返した。
さて、叔父の死に、さらに続いて父親の余命6ヶ月の末期癌宣告。全ての治療を拒否し、実家に帰りたいという父親の実家での様子。そしてわたしとの交流を、日常の何気ないやり取りやふるまいを通して、忍び寄ってくる死へのおののき? 切なさ、ちょっとした希望といったものが伝わってきた。
書くテーマには色んなことがあるが、そこに流れているのは、やはり父の死に伴う過去の出来事から、ああしてあげたらとか、こうしていたらという後悔の念。そして今は生きている母とも別れるときのことを思わざるを得ないことが底流に流れている。
そんな中で悲しみのシーンでの、ちょっと笑いを誘うシーンが現れるところが余計に奥行きを感じさせていい。
たとえば、葬儀屋さんとの準備での打ち合わせで、父親はこういうことにお金をかけることを嫌ってしたし、母やわたしは質素にしようねと話していたが、葬儀屋の「提灯には、亡くなられた方の足元を照らす、という意味合いがありまして・・・」に。
「どうする? お父さんの足元、照らす?」などと。
また、ふっとこぼれてくる言葉のその瞬間が、心に響いてきた例に、私の個展を観たいとタクシーで出かけ、15分ほど滞在して帰る途中、父親が好物の回転寿司屋に「ちょっと寄って行こうか」に「ワシ、もう家に帰りたい」と小さな声で言ったなど。
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