読後感:
第四部、五部:(1866年から戦後の再建時代の73年まで)ジョージア州アトランタ舞台
「風と共に去りぬ」がこんなにおもしろい作品であったとは知らなかった。 南北戦争の歴史のことも知りたかったけれど、それも一般市民の側から見たところからよけいにどんな状況にあったかを知ることも出来た。
登場するスカーレットとレット・バトラーのお互い似通った素直になれない性格、強情で皮肉な言動でお互いが理解できなくすれ違う。 そしてスカーレットが愛しているアシュレに対する思いと、アシュレを心底愛するメラニーに対してスカーレットが当初は死んでしまえばと思いながらも、アシュレにメラニーを頼むと言われてメラニーと赤ん坊の面倒を見るスカーレット。 一方メラニーはスカーレットに、赤ん坊も共に死ぬのを命がけで助けられ、タラでも食べ物もなく、貧しい中をスカーレットの力で助けられている恩を忘れず、スカーレットを心から愛しているというメラニーという女性。 メラニーの外見からは想像できない真に強く優しい性質で周りの人の信頼を勝ち取っていくところから知らず知らずスカーレットもメラニーのことを大切な人と理解するも手遅れで・・・。
レットとアシュレは同じような人間でありながら、住む世界が違うことで二人も悩む。
そんな四すくみのような人間関係に加え、スカーレットの母親のエレンの存在、アイルランド育ちの父親のジェラルドの豪放磊落な人間の魅力。
人間模様の面白さの他に、三人の男性と結婚し、何度となく地獄に堕ちながらも、力強く前向きに立ち上がっていくスカーレットの姿は素晴らしいの一言に尽きる。 勇気を与えられる。
メラニーが死に、スカーレットにとって何が正しかったのかを知ることになってレットから痛烈なる言葉を受けることになるシーンで、スカーレットはこどもであること、そしてこどもであることを願っていたレットの心中が胸を打つ。
印象的な言葉:
メラニーが死に、はじめてスカーレットにとってメラニーが大切な人であったことに気づく、そしてアシュレのことを愛してはいなかったこと、レットのことを初めて愛していたと感じてレットに愛を告白しようとしたときにレットから返された吐露:
今までどれほどスカーレットを愛していたか。
「おれの愛はさめてしまったんだ」 ・・・
「きみは、(アシュレのことを)うまく愛するふりをしてきたのか――ずっと今夜まで。 ・・・
おれはきみを愛していた。 だが、それを、きみに知らせることができなかつた。 きみは、きみを愛する人間にたいしては、じつに残酷だからね、スカーレット。 きみは、その愛をとりあげて、鞭のように、それをその人の頭の上でふりまわす女だ」 ・・・
「結婚したときも、きみがおれを愛していないことを知っていた。 おれはアシュレのことも知っていた。
だが、おれは愚かにも、やがておれを愛させることができると思った。・・・
結婚して、きみを守り、きみを幸福にするものなら、なんでも思うようにやらせてやりたかった――ちょうどボニーをかわいがったのとおなじように。 きみは苦闘の最中だったからね、スカーレット。 ・・・・
おれは、きみをこどものように遊ばせておきたかったんだ。 ――きみはこどもだった。
勇敢な、おびえた、強情なこどもだった。 いまだって、まだきみはこどもだ。
こどもでなければ、あんなわがままな残酷なことができるはずがない」 ・・・
「おれたちが似合いの人間だということは明らかだ。・・・
アシュレのことは、やがてきみの心から消えるだろうと思った。 ところが ・・・
できるだけのことはこころみたが、なんの効果もなかった。 それでもおれは、やはりきみを愛しつづけたよ。
・・・
いつも――きみにはアシュレがついてまわった。 そのため、おれは気が狂いそうだった。」
・・・
「だが、あのころはボニーがいた。 だから、万事が終わったわけではないと思った。
おれは、ボニーをきみと考えたかった。 つまり戦争や貧乏でそこなわれない以前の少女にかえったきみと考えたかったのだ。
あの子は、きみとそっくりだった。 とてもわがままで、勇気があって、快活で、元気だった。
だからおれは、あの子をかわいがり、甘やかすことができたんだ――ほんとうは、あのように、きみを愛したかったんだ。
あの子は、きみとちがっておれを愛してくれた。 きみがうけようとしなかった愛を、あの子にあたえることができたのは、しあわせだったと思う
――あの子が死ぬのといっしょに、おれはなにもかもうしなった」
|