読後感:
第一部:ジョージア州北部 タラ農園舞台 (1861年から62年まで)
いかにもアメリカという雰囲気が溢れた描写にこの長編作品 (1270ページ) を淡々と読み進めることが苦にならない思いでこれからが楽しみである。
何不自由もなく育てられたスカーレットの、父親に似た自分中心の幾分強情で気性が激しく自信に溢れて傷つくことがきらいなわがまま娘の行動が果たしてどういう風にこの後展開していくのか。
トウェルヴ ・ オークスのパーティでメラニーとアシュレの婚約発表をすることを知り、アシュレに愛してると告げ、諭されるスカーレットのその時の気持ちはいかばかりだったか。 そしてその愛の告白場面でのやりとりをレット
・バトラーにすっかり目撃されてしまったことで恐怖をおぼえる。 そして勢いでチャールズ
・ ハミルトンと結婚してしまい、 しかも数ヶ月後チャールズは戦場に、 残るスカーレットは妊娠してしまったが母親の感覚も無し、
ましてや生まれてくるウェードに対する愛情もわかない16歳の女。
アシュレが戦場に出かける日、再度愛を告白し、アシュレからは自分が死んだらメラニーを頼むとさえ言われ、約束してしまう。
一方、無頼漢レット ・ バトラーはスカーレットに皮肉言葉やちょっかいを楽しむ様子で南軍は負けると挑発する。
アシュレに対する何ともならない心情、 バトラーに対する負けず嫌いでいながら何となくバトラーに対する複雑な気持ちが鮮やかに描き出されていて飽きさせない。
第二部 アトランタ舞台 (1862年5月から64年春まで)
夫が、戦場ではなく、病気でなくなってしまい、子供を産んでしまったスカーレットはまだ17歳、夫のアシュレが戦場にいて一人なのにそれに満足しているメラニーのところで過ごすことになったスカーレットの日常はとにかく退屈。負傷兵達の世話をすることで病院委員会でたまたまバザー会場に出ることから忌み嫌っていたレット
・ バトラーと再会し本心を見抜かれていることに反発するも会衆の中で衆目の人に。
次第にアトランタでの生活にも慣れ楽しくなってきた所でいよいよ北軍との戦争が激しくなり、アトランタに向け北軍の侵攻で風雲急を告げ出す。
第三部 アトランタからタラへ (1864年から65年まで)
南軍の敗走でスカーレットたちはメラニーと赤ん坊を連れ、バトラーの助けを借りてタラに向かうも、バトラーの心変わり(?)に投げ出されスカーレットたちだけでタラに向かうことに。 そしてタラで無惨な出来事に一挙に打ちのめされる。
このあたり今まで何一つ不自由なくかしづかれ裕福に育てられてきたスカーレットが最後に頼るのは母親のエレンという存在があったのに、その頼れるものを失い、自分が中心になって切り開いていけない立場に置かれ、目の前が真っ暗になってしまった時の心情がこれまたいかばかりか。 長編物語が故にそのあたりの心情がひしひしと伝わってきて、人生にもこういう時があることを感じないわけにいかない。 その哀しみを誰かアドバイスしてくれる言葉を期待したら・・・。
フォンティン家のお祖母さんの言葉が身にしみる。
戦争が終わる。(1864年4月)
印象的な言葉: <第三部>
やっと馬が手に入り、近所の様子を調べにフォンティン家を訪れ残っている三人に歓迎され、フォンティン老夫人にタラで何があったかを問われて:
(スカーレット、アトランタでのこと、タラに辿り着いてからのことを語る。)
「母のいる家へ帰り着くことさえできたら、きっと母がすべてを引き受けてくれて、あたしは重荷をおろすことができると思っていました。 帰る途中、あたしは、これが最悪で、これ以上悪いことは、もう自分の上には起こるまいと思っていました。しかし、母の死を知ったとき、ほんとうの最悪はこれだと知りました」 ・・・
しかし、ついに老夫人は口を切った。 やさしい調子だった。 お祖母さまが、こんなやさしい調子で他人に話すのを、スカーレットは、これまで一度も聞いたことがなかった。
「いいかい、スカーレット。 女がその身に降りかかる最悪のものを経験するということは、女にとって、大変不幸なことです。 なぜかといえば、最悪を経験すると、もはやほんとうに恐ろしいものがなくなってしまうからです。 ところが、なにも恐ろしいものがなくなったということほど女にとって不幸なものはありません。」
・・・
スカーレットがフォンティン家を訪れたことは、 彼女自身が感じる以上に彼女を元気づけた。
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