黒岩重吾著 『天の川の太陽』

                   
2007-04-25

(作品は、 講談社 日本歴史文学館1 黒岩重吾『天の川の太陽』による。)

                   
 

 1987年(昭和62年)3月刊行。
 本の帯には
“唐に負けない国を朕(われ)はつくる”
兄・天智天皇に疎まれ、兄の子・大友皇子と戦って勝利をおさめ、
天皇位についた大海人皇子(おおしあまのみこ)。彼の武器は人の心を知悉(ちしつ)していたことだった。
額田王(ぬかたのおおきみ)との恋、藤原鎌足の策謀、未曾有の大動乱の中で最も人間的に生き抜いた天武帝の雄渾のロマン  とある。

 歴史文学館の監修は、司馬遼太郎、井上清、松本清張の3氏監修で、永井路子 北条政子/炎環と同じ。このシリーズが新たに装丁され、きれいになって読みやすくなった。

物語の展開:

 この物語は壬申の乱を描いた歴史物語である。時は7世紀、672年の壬申の乱に至る日本の政治体制(中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足を中心とする律令体制)を構築しようとする中、唐と三韓(新羅、百済、高句麗)の抗争が日本にも大きな影響を与えながら、天智天皇の片腕である鎌足が亡くなり、天智天皇も昔の怨霊に悩まされながら、亡くなる。新天皇に任命された大友皇子を巡り、天智天皇を継承するに正統といわれる大海人(おおしあま)皇子が吉野宮滝の隠遁生活から朕(われ)こそ天皇なりと立ち上がる。それは近江朝宮廷と東国地方を中心の地方豪族をも巻き込んだ大動乱となった。

読後感

 天智天皇(中大兄皇子)、天武天皇(大海人皇子)、藤原鎌足、不比等、額田王など歴史上の名前は知っているが、どういう時代で、どういう関連があるのかといったことは忘れてしまっている。そんなこともあって当時の歴史を知る上で非常におもしろく読めた。

 それにしても、昔は一夫多妻、妃として中大兄皇子などは娘の4人も大海人皇子に与え、伊賀の采女(うぬめ)に生ませた大友皇子を新天皇に据えるなど、自分の家の将来を誰に託すかは大きなかけであった。

 歴史小説ということで、書記やその他の資料の矛盾点や著者の解釈が所々に挿入されていて、史実との違いなども分かり、歴史好きな人にとっては、好ましい読み物といえる。この小説は大変な長編で、講談社の日本歴史文学館の最初に位置するものにこれがあり、文字が普通の単行本と同じく、大きくて読みやすいので、大変有り難かった。

 さて、物語のおもしろさというか、小説という意味で見た場合、少し気になることがある。少し前、黒岩重吾のエッセイ「とっておきの手紙」(2004年刊行 たちばな出版)を読んだ時に感じたのだけれど、そのエッセイの場合、文章の調子がすごく固いという感じを受けた。著者は全身麻痺の難病で三年間の入院生活(治るのかどうかも判らず前途を考えるとどうなるのか不安の状態であろうことは容易に想像出来る)、さらに入院中の株の大暴落で大きな借金を抱え込み、これまた何故自分だけこんな目に遭うのかという、死を思わずにはいられない心境であったそうだ。生き続けられた理由は何だったのかと思わずにはいられない。

 そんな苦しい体験を通しての文筆業であるから、それが文章に表れているのだろうと・・・
 そんな感じが、この小説を読んでいても感じてしまう。やはり著者その人の姿が映し出されると言うことであろう。

   

   


余談1:
 今月の4作品を更新にあたり、締切まぎわであるが、余談の言葉が何も浮かんでこないのはどうしたことだろう?



                               

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