幸田文著 『流れる』
                          




              
2008-03-25




  (作品は、幸田文著 『流れる』 新潮社 による。)

                   


昭和30年1月から12月号「新潮」に連載。
平成5年(1993)6月刊行


幸田文:
1904年(明治37年)9月東京向島生まれ、随筆家、小説家。幸田露伴の次女.娘に青木玉。1928年(昭和3年)、酒屋問屋に嫁ぐも,十年後に離婚し,娘を連れて晩年の父のもとに帰る。露伴没後,父を追憶する文章を続けて発表,たちまち注目されるところとなる。1956年の「流れる」は新潮社文学賞・日本芸術院賞の両賞を得た。
 『流れる』は随筆の限界を感じて、芸者の置屋に住み込みで働き、そのときの経験をもとにして書いた長編小説である。
 

主な登場人物:

梨花

芸者家に家事雑用として初見参し、女中として採用される30過ぎの後家。くろうとに対し、しろうとのわかりの悪さを嘲けられるが、どこへ置いても自分は強いという性癖がもたげる。主人より呼び名がじれったいと春と呼ばれる。
花柳界に住む人々の日常の素顔を知るにつけ、この世界を好ましく思い出す。

女主人

ぴたりと人情の壺をおさえてくる、勘の良さ、器量の良さ、立ち居振る舞いに梨花は感心する。一方勝代の見る目は、芸があって、綺麗で妙にくなくなっと優しいところがあり、ふだんは人に好かれてちやほやされるけれど、何か事があると置いてきぼりにされる。
左前になり7人いた芸妓も次々減っていく状態である。

染香姉さん 50過ぎの大古芸者。借金の催促にへぐへぐさせられて、藁をも掴んで一時逃れにしたい状態。本芸の長唄の三味線は一流、その他座敷の扱いは一品。
勝代 女主人の娘、19歳。不器量であのお母ちゃんの娘に生まれてきたことがやりきれない。しかしいざという時にはお母ちゃんの味方となって鋭い。
なな子 オフィスへ勤めた女学校出の芸子。

米子

その子の不二子

女主人は叔母に当たる。中古細君みたいに不機嫌を見せつける。米子の母親は鬼子母神(きしもじん)、女主人は鬼子母神の妹。染香の借金は鬼子母神の高利貸しから。
不二子は米子がよその土地のお茶屋さんに下働きに出ていて、そこの若いいなせな板前見習との間に出来た子で、まったく手のつけられないいやな子。


物語の概要:

 梨花というしろうとの女中が芸者家の中で生活することになり、花柳界の表裏をつぶさに体験する、その様子が細やかに、素敵な風刺も混ぜ合わせ、展開する。


読後感:

 この「流れる」を読み出す時は正直これほど惹かれる作品とは思っていなかった。幸田文の作品を読もうと思ったキッカケは、青木玉のエッセイ「上り坂下り坂」を読んで、日常の様子が何とも言えない優しい表現だが、心に響いた。そこでどういう人かと調べてみると、幸田文の娘さんとわかった。

 何か読んでいると、夏目漱石の「坊ちゃん」とか「吾輩は猫である」を読んでいる風に面白いし、爽やかだし、人々の心の動きが細やかに記述されていて大変好ましい気持ちで読んでしまった。表現に風刺や、気の利いた表現にとみ、気持ちをくすぐる感情を湧き起こすそんなものが潜んでいる。新潮社文学賞、日本芸術院賞受賞とあるのもうなずける。

 時代の流れで落ち目になっている芸者家の主人、年を取っても芸者としての実力の持ち主染香姉さんのすばらしさ、弱み、その両方を梨花が見ながら、また、くろうとの世界にしろうとが入って、下に見られながらも、しろうとの怖さを垣間見させる場面、梨花のすぐれたところが次第に認められながら、次第にこの世界を好ましく、離れられなくなってしまう梨花の気持ちが、最後の場面では強く感じられ、気持ちの良い読書になった。


印象に残る表現:

何と言っても言葉の表現が練られていて思わず噴き出したり、ニヤッとしたりで楽しい。


◇最後の場面: 落ち目の主人たちが家を売り、格下の橋の向こうに引っ越すことになるが、梨花だけは元の家で新しい主人に仕えることになる下り。

 引っ越しは済んだ。案の定、新しい住まいは壁も畳みもより薄かった。それを取り繕って住めるようにしたのは、梨花一人の気働きと労働である。一人で切りまわした引越しだった。惜しみなく尽くしたといういささかの満足はあっても、所詮それはこの時きりのものである。この美しい主人を長くみとりたい気持ちは、これだけで終わらせられるものではない。別れにくかった。それでも、しにくい別れを胸にしめて格子をたてる。この真夜なかは何時なのか。惹かれてはいけないと云った佐伯の釘が利いているばかりに、こうして帰る道である。新しい出発は決して楽しいだけのものではない。旧い人の凋落をうしろにのこしていく心。・・・・

 つづいて脈絡のないことを思った。ここへ来たとき主人は、梨花という名を面倒がって春という名をくれたが、ということだった。


  

余談:
今読み出した青木玉のエッセイに、幸田露伴、幸田文の素顔が見られる。次の号に取り上げたい。
  背景画は、新・京都迷宮案内の一場面より。