◇印象に残る表現:
江戸の人情をほろりと感じさせる語りの部分が多数ある。その中の一つ、二つを。
第一弾 傷 春の出来事
おせんと大工の卯之吉のお互いを思って間違いを起こしてしまったことに森口晃之助のさばきは:
「他人の家に押し入った卯之吉は大番屋へ送る。当たり前だ。盗みをはたらかせるもととなったお前さんは、淋しくってもしばらくは一人で暮らさなきゃならない。これも当たり前だ。」おせんの声がしなくなった。うなだれて、晃之助の説教を聞いているのかもしれなかった。
「盗みを働こうとした者と働かせるもととなった者は、ちっとばかりそういう思いをしなけりゃならないんだよ」
なるほど―――と、慶次郎は思った。助勢を願うどころか、慶次郎でさえできなかったかもしれない裁き方だった。
あれもこれも、春の出来事だな。
好いた女には、惚れぬいた男がいた。若いと思っていた養子は、慶次郎の手助けなどいらぬほど成長していた。
「隠居した後の行きどころってのは、―――難しいものだ」
第三弾 おひで 佐七の恋
惚れた男には女ができて振られ、女に包丁で傷つけられ、その騒ぎを利用して男を呼び出して傷つけ自分も死のうと。。。。 慶次郎と佐七の寮で養生、口とは別に我がまま放題に振る舞うが・・・。
佐七が生まれてはじめて人の頬を叩く。おひでは家を飛び出す。
いやな予感がした。おひでが妙な刺され方をして寝かされている。
一番大事にしてもらいたいというおひでの気持ちを、誰よりもわかってやれるのが、佐七ではなかったのか。慶次郎とのどかな暮らしをしているとはいえ、慶次郎には養子夫婦がいて、まもなく養子夫婦に子供も生まれる筈だ。・・・
お父上が一番好きと言っていた娘に恋しい人ができれば、父親は二番目の存在になり、嫁いで子供が生まれれば、三番目の存在になる。みんな、二番目、三番目の存在になって死んでゆくのだと言って、佐七のひがみを怒るかにちがいなかった。
「でも、旦那には、三千代という娘さんに、一番好きと言われている時代があった」
それが、佐七にはない。そして、おひでにもなかったのである。
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