北杜夫著  『楡家の人びと』















                 2007-03-25



  (作品は、北杜夫著 『楡家の人びと』 新潮社による。)

             

初出 第一部 「新潮」1962.1月号〜1962.12月号
     第二部  「新潮」1963.9月号〜1964.3月号
     第三部  書下ろし
刊行 初収単行本 1996.4月
本書  1993年(平成5年)8月刊行

物語の背景、概要:

 明治37年に本郷の楡医院を青山に移し、楡病院別名帝国脳病院として楡基一郎が一代で新しく創りあげ、なお創りあげつつある精神病の病院。関東大震災を経験、さらに病院の焼失騒ぎも経験する。太平洋戦争では若い者は招聘され、その運命はどうなるのか。第三部では、太平洋戦争での人々の様が克明に記述され、展開されていく。東京大空襲では病院はすべて焼失。敗戦で楡病院の建て直しは、果たしてどうなるのか。かすかな暗示を示しつつ物語は終わる。
楡家の主な登場人物像:

[楡家]
楡基一郎 初代院長

故郷は山形出身、たとえ親戚の者でも赤の他人と区別せず、特別扱いをしない。明治37年、一代で楡病院(精神病医院)を築き、その後衆議院議員にも当選。決して怒らず、誰にでも愛想良く、持ち前の先を見通す力と、能力を見出す力、口舌の旨さで人を信用させる能力、見栄っぱりとで楡病院を発展させる。

 しかし、徹吉が海外研修中火災を出して焼失、その後は徹吉に引き継ぐ。再建に奔走中、63才で亡くなる。この年、大正天皇没し、年号が昭和と改められた。
 妻 ひさ 病院を陰で支えたのは、妻ひさの力。その後も大奥さまとして健在。
長女 龍子
学習院出。
龍さまと呼ばれる。






子供:

俊一
藍子
周二
楡家の中でも、龍子と聖子はその他の子供たちと別格の扱いを受けていた。
 夫徹吉の能力のなさに失望、父の悪口を言われ、さがない口論から、龍子は子供を残し家出、夫と10年間も別居するが、最後は徹吉に詫びを入れることに。

・龍子が楡家の真の後継者と言える?
 俊一には楡の病院の後継を龍子は期待したが、太平洋戦争で俊一は軍医としてウェータ島に出征、生死も判らず。本人は、死を覚悟し・・・。

・藍子は、女学校の頃は大将格で、カバン持ちと取りまきを従えて歩くような快活な子で、次第に聖子に似た容貌を備えてきた。
 欧州の友達の城木が戦争に出征するとき、結婚の約束をして送り出したが・・・。

また、藍子自身も東京大空襲での日、思いがけず悲運に見舞われる。
夫 楡徹吉 二代目院長 基一郎の隣村出身、基一郎の養子になり、長女龍子の夫となる。3年間の欧州での研究生活で博士号を取る。
しかし、基一郎亡き後、院長としての才能に乏しく、金銭感覚も無知無能、病院再建の負担にめっきり年を取る。妻や院代、患者からも頼りなく思われ、「精神医学の歴史」をまとめることに活路を求める。

次女 聖子
学習院出。
聖さまと呼ばれる。

夫 佐々木

楡家で一番の容姿の持ちぬし。婚約も破棄、あらゆる反対を押し切って、勘当同然に家を離れ、佐々木と結婚。
 しかし、酒癖と飲んだら性格一変の夫にさいなまれ、子供も出来ずで、耐えがたい関係に。
かなり進んだ肺結核で、楡病院の火災で大変な状況の時、見取られる血族も小人数の中、長からぬ生を閉じる。
桃子とは仲が好かった。
三女 桃子
 最初の夫
  高柳四郎

 二番目の夫
  宮崎伊之助



子供:
 聡(さとる)(四郎との子)
 さき枝
(伊之助との子)

少女時代は、楡家では気ままで何のかげりもなく、さながら小さな女王のそれ。
 基一郎が亡くなってからは、夫四郎は少しも重要視されず、同じ養子の徹吉からは罵倒され、不遇で、楡病院の片隅に追いやられる。欧州が結婚、新婚旅行先でくつろいでいるさなか、四郎は腹痛がひどくなり、急死。桃子は28才で未亡人となる。

 聡を残し、桃子家出をする。ひさにも冷たくされ、伊之助について上海へ、成功して日本に戻ってくる。しかし、楡家への望郷の念はつのり・・・。

長男 欧州

妻 千代子

生々しい欲望とか、覇気とかが殆ど見られない。しかし、ゆったりとした外観からは、初代院長の後継に相応しいとの評判。しかし、本人は医者であることに拘っていず、戦争の終盤、松原の本院を東京都が買い上げると、百姓をすると北海道に農場を求める。買い上げられた後、東京大空襲で、楡家の病院は二個所とも焼失した。やはり先見の明があったかと思われたが、・・・。

・嫁入った千代子に映った楡家の印象:
外面はよいが、内面は悪い。楡という家はなんだか変な家、おかしな家だとおぼろな予感を抱かざるを得なかった。どうもこの家では親子兄弟がばらばらに生存しているようで、その一人ひとりがまた一風変わっているように思われた。
次男 米国
 

医者にならず、農場をやっている。そして結核と思いこんでもおり、それを克服した後は、脊髄性筋委縮症の不治の病と称し、戦争に召集されないと思いこんでいたが・・。
関連
院代 勝俣秀吉
基一郎に登用され、楡病院に関するすべての権限を握る。楡病院の第二次降盛期(青山の分院、新しく建てた松原の本院)を所有したのは楡家というより、院代のものというくらい。
 初代の基一郎をこよなく尊敬していた。
下田ナオ婆や 本郷時代の楡医院に勤める看護婦、青山に移ってからは看護婦長をつとめる。その後も楡家の乳を与えない乳母になる。
読後感:

・3代にわたり事業を成功裏に続けるということは、至難の業であろう。ましてや戦争という個人ではどうしようもない事情がはいってきた日には。
 初代の楡基一郎が楡病院を創立し、発展できたのは、ひとえに本人の才能に依っていたことは違いないが、それを支えている人々があったことは言うまでもない。
 そして、徹吉という人物を見出し、それを育てて二代目に抜擢するまでの筋書きは、まあ出来なくはなかったと思う。しかし、それからが問題であろう。

 子供達がどんな人間に育つかが実に大きくものをいう。
ちなみに、先の佐藤愛子の「血脈」を読んだ後のこと、やはり「楡家の人びと」でも二代目、三代目には大きな問題が見られた。

・それにしても、三部の最後の方で、故国は徹底的に戦いに敗れ、そして老いさらばえた自分の人生ももう終わりと、徹吉が若い頃を振り返る。
 養父基一郎に「徹吉、おまえは偉い、一つ金時計をくれてやろう」という言葉がすぐ近くで聞こえたような気がした。

 わが子、俊一、藍子、周二よ、おまえ達にとって良い父親ではなかった。何もかまってやれず、むしろお前たちを不幸に陥れた。決してお前たちを愛さなかったというのではない。だが、何かが、自分の生まれつきが、性格が、なにか諸々のものが、ある宿命のようなものが、物事をこのように運んでいったのだ。
愚かであった。だが、愚かなら愚かなりにもつと別の生き方もできはしなかったか?
 少しは妻もなごみ、子供たちをも慈(いつくし)み、せめて今の意識をもう少し早く持つことが出来たら!それにしても、自分は何と奥底まで疲れ、気弱になってしまったことだろう。 には、何だか人生を振り返る自分のことのような、しんみりとした感傷に陥ってしまった。

・一部、二部では楡家に関係の人物が中心に物語が展開していたのが、三部になって、欧州の友達の城木達紀(たつのり)が話の中心で、戦争場面が展開され、あれっと思った。後でどうしてかが理解できたが、三部全体が太平洋戦争の状況が克明に展開され、以前読んだ、半藤一利著の「昭和史」、石川達三著の「風にそよぐ葦(あし)」のことが頭をよぎった。

 特に石川達三著の「風にそよぐ葦(あし)」の小説の戦争描写でうける印象が、こんなに違うのかと。(「楡家の人びと」の場合、戦争場面だけでなく、なにか傍観者的というか、第三者的な表現に感じられ、切迫感とか、悲壮感というものを受けないですんでいる。これは作者の意図したものなのか) 


余談:
 
長編小説は自然と一代記とか、何代にもわたる物語となるのが多い。そんなとき、ずっと変化無くということは世の常としてない。人生を振り返るような年代になって読むと感慨深いものがある。
 背景画は、の内表紙を利用。

                    

                          

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