岸恵子著  『風が見ていた』
 


                2007-09-25
      (作品は、岸恵子 『風が見ていた』(上)、(下) 新潮社による。)

                
 

 この作品は「小説新潮」2001年8月号から2002年1月号、4月から6月号、8月号、10月号、2003年1月号、3月号、7月号に連載された。
2003年(平成年)10月 刊行。 岸恵子さんの長編自伝小説。


主な登場人物:
速水達吉
妻 滝

三男二女をもうける。

長女:桃子

(衣子の祖父)新開地横浜に夢を託し、20歳で故郷を後にする。性格は豪放磊落(らいらく)、小気味のよい男前も手伝って人に好かれる。プロの画家ではなかったが、生涯の一時期絵筆を持つ。野人かと思うと信じられないくらい繊細で、しかもいつも未知なるものへのエネルギーに溢れていた。一時、滝と五人の子供を残し、単身ヨーロツパに渡る。

 一方、滝は「買い食いはせず、おやつはみんなで家で食べる」と厳しい躾で子供達を育てる。しかし、辰吉が渡海して留守を守っていた滝にいつの頃からか微妙な変化が現れだした。

刈谷亮
 
(りょう)
刈谷桃子

衣子の父、国語の先生。

桃子の幼児期、こぼれるような天性の愛嬌があり、誰からも好かれた。

刈屋衣子
(岸恵子に当たる)

 どこかにしんと静まりかえった孤独がある。やたらと甘えかからないところは母親似だが、時折ハッとする冷たい視線で何処かを凝視する。だからといって暗い、陰気な子ではない。
 フランス映画に出演したことで、大きく飛躍、愛する来栖堯を忘れ、19歳でフランスに行き、ドキュメンタリストとしてセルジュ監督のもと活躍。スキーで遭難しかかった時に助けられた、ロイックと結ばれる。
 思春期、どんな男をもたじろがせるほどの、女の魅力をしっかりと携えていながら、幼児のようにキラキラと透き通っている。

来栖堯
(くるすたかし)

 衣子が高校一年の時に出合った医大の学生、フランス語の先生。
 来栖のおかげでフランス映画界にデビューのきっかけを作ってくれる。その後は衣子の忘れえない恋人であり、心の支えの人物。複雑な家庭環境あり。

セルジュ・フォレスティエ監督  フランス映画「ジャポン」の監督、その後フランスでの見受け率い家人となり、衣子をフランスに招待する。
ロイック
・ラヴィリエ
 衣子の夫。辰吉の申し子のような人物。宮仕えは性に合わないと、ユダヤ商人の子として世界を駆け回って商売をする豪胆磊落に生きた男。実はラウルの忘れ形見。
フィリップ
・ラヴィリエ
 横浜の領事館に赴任、辰吉が菊花展覧会コンクールで一等賞の「女狐」を所望したのがきっかけで知り合うフランス人。それから速水家との深く長い付き合いが始まる。
ダニエル
・オーブリー
 骨董商、趣味で画商のようなことをやる。辰吉の絵をフランスに紹介。ダニエル・オーブリーの斡旋で辰吉、フランスに渡る。
ラウル  フィリップ・ラヴィリエが伴う日本語が達者なユダヤ人。ラウルの父は「ドレフュス事件」でドイツ機密漏洩の濡れ衣で悪魔島に長いこと捉えられたユダヤ人。ラウルは大戦時ドイツ・ゲシュタポに殺害される。

読後感

 岸恵子のエッセイ「ベラルーシの林檎」(1993年11月)を読んで、文筆家としての岸恵子に興味を抱いていた。そんなとき、図書館で「風が見ていた」という本を見つけて、読みたいと思った。
 作品は岸恵子の長編自伝小説と言われるようだ。多分エッセイの方が真実の姿であろうが、作品の中の物語にフィクションがどの程度入っているかは判らない。

 しかし、岸恵子がフランス映画、ノンフィクションの「ジャポン」出演をきっかけに若くしてフランスに渡り、はなばなしくも、真摯に生きてきた人生がふつふつと伝わってきたし、作品の中には随所にきらりと光る文章表現が見られるのはさすがである。
 また、岸恵子の清潔感溢れ、それでいて凛とした姿、魔女のような不可思議で妖艶な人物像が想像されて、今ある姿がそのままな人であることが想像される。
 祖父辰吉に「自分に一番似ている」と言われた衣子はやはりフランスでもその通りに振る舞い、愛されていく。

“アンコュニカビリティ(意思不疎通性)”という言葉を岸恵子が使っているが、作品の中でロイックとの間に生まれたテッサという娘が、中学生になり、思春期にさしかかる頃ふっつりと日本語を使わなくなった。「ママのフランス語で、パパは不自由を感じなかったのかしら」「私は日本では暮らせないわ。読み書きも出来ないし、日本の人とはコミュニケーションが取りにくいわ」と言われて鉄槌で頭を殴られたような衝撃を受ける。という部分は、外国人の哀しみが溢れ出ている。

 ユダヤ人の父を持ち、大戦末期にドイツ・ゲシュタポに殺されたロイックの無念の思いの中には、遠く関係のない日本人ならなおさらロイックの気持ちを理解せず、パレスチナ人を押しのけて、独立国家を打ち立てたイスラエルの建国時のスローガンを批判した自分に対するロイックのむなしさ?が推察される。
 歴史は調べて判ったとしても、当事者の気持ちはなかなか理解は難しいということであろう。

随所に出て来るきらりと光る表現:

◇ 横浜大空襲の後の場面:

 それから暫くの間、数時間して亡霊と化したこの町の上に、黒い煤煙が異臭と屍を抱き込んで去りやらず、そのただならぬ闇の上に、ざくろのように黒く不気味な太陽がのぼりつづけた。

◇ 衣子のフランス行きで一年でも二年でも行ってしまうと来栖と逢えなくなることにそれでも良いのかと問い詰める衣子に:

「衣子さん、止めなさい。今、君は支離滅裂になっている。僕の気持ちを勝手に決めて、それを逆手にとるのは君らしくない。ことばを飾って自分が作ろうとしている疵(きず)をさきに繕ってはいけない」
「あたしがどこに疵を作るの? どこの誰の疵?」
「ことばが足りなかった」来栖は静かに自分の胸を叩いた。
「この奥に出来るだろう僕の疵・・・。もう痛みはじめている僕の疵だ。繕えるのはぼく自身しかいない」
「あたしの疵でもあるわ。繕ったりはしないわ」
 

  

余談:
 「ベラルーシの林檎」にもあったが、ユダヤ人問題が浮かび上がってくる。身近なところから、イスラエル、パレスティナの悲劇が少しは理解できる。

背景画は、作品(上)中の岸恵子さんのフォトを利用。

                    

                          

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