川村元気著 『 百花 』



              2019-09-25

(作品は、川村元気著 『 百花 』    文藝春秋による。)
                  
          

  初出 月刊文藝春秋 2017年10月号〜2018年11月号。
  本書 2019年(伶和元年)5月刊行。

 川村元気:
(本書より) 
 
 1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」「おおかみこどもの雨と雪」「君の名は」などの映画を制作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌11年には優れた映画制作者に送られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。
 12年、初小説「世界からネコが消えたなら」を発表。米国、英国、フランス、ドイツ、中国、韓国、台湾などでも出版され、200万部突破のベストセラーとなる。
 14年、絵本「ムーム」を発表。Robert Kondo & Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化され、全世界32の映画祭にて受賞。
 18年、佐藤雅彦らと制作した初監督作品「どちらを」が第71回カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に選出される。他著に小説「億男」「四月になれば彼女は」、対話集「仕事。」「理系に学ぶ。」「超企画会議」等。
  

主な登場人物:

葛西泉 就職(レコード会社での宣伝担当)決まり家を出て15年、母親の家から1.5H程の距離に住む、38歳。生まれた時から父親はいなかった。中学2年生の時、あの日から1年間、突然母親の姿が消え、捨てられたと感じる。
葛西香織 泉とは社内結婚、2つ年下。結婚して2年。2ヶ月前妊娠。優秀なディレクターで仕事に夢中。完璧主義で人に任せられないタイプ。
葛西百合子

泉の母(母子家庭)、68歳。一人暮らしでピアノ教室を営む。
最近アルツハイマー型認知症に。記憶が飛んだり、行動が怪しくなっている。

美久ちゃん
お母さん(旧姓 三好)

百合子のピアノ教室の生徒、小学生。
・三好さん 泉達と同じブロックに住む。中学卒業して以来20年泉は会っていなかった。

二階堂さん 百合子のヘルパーさん。
浅葉さん 大学教授、船舶関係の研究者。百合子が泉を捨てた1年間の、妻子持ちの不倫相手。百合子より6歳も年下。

真希
夫 太郎

香織と同期入社の同僚。二人ほぼ同時期の妊婦。
三浦 泉の、小学校に入ったばかりの頃の友達。
泉の会社の仲間

・永井 新人。実は音楽より映画の方が好き。
・大澤部長
・田名部女子 大澤部長と内緒で付き合っている。

観月さん
と娘さん

百合子が入居した施設「なぎさホーム」の所長。芯が強く、明るい太陽のような性格。

物語の概要:(図書館の紹介記事より。)

 認知症と診断された母・百合子。息子の泉は、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、過去へと思いを巡らせる。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語。             

読後感:

 物語は認知症を患い始めた母(百合子)と、近くには住みながら就職してから15年家を出て、たまに家を訪れていた子(泉)の親子の愛と記憶の物語。

 母との思い出が随所に出てくると共に、時に母の日記から、あの日から泉が1年ほど突然母が姿を消し、自分は捨てられたという思いを抱く。
 しかしその後百合子が戻ってきてからの母子は、一時泉が3,4日年上の女子大生の所に泊まり込んで戻って来た時、母親の「誰といっしょなの?」に「よく言えるね」「母さんに、そんなこという権利ないよ」と返す時を除き、百合子がなくしていく記憶をとどめようとメモし、さらには出産前一人で寂しくしている様子など、一人で苦しんでいたことを知り、気づいてあげられなかったことを悔いる。

 プロローグに出てくる浅葉さんの名前、誰のことだろうと思っていたがなかなか現れない。後半近く百合子の日記が見つかり、その中での出来事で泉が中学2年生になろうとしていた時、泉が生まれた時には父親がいなくて、百合子と泉の二人だけの生活に百合子が疲れ果て、逃げ出したことが分かる。そして1年間の生活の中で百合子の幸せな時が過ぎていったが、阪神・淡路の大震災がきっかけで泉の所に帰らないとと決意する。

 妻の香織が妊娠し、百合子と一緒に暮らすにも赤ん坊と百合子の世話はとても無理なため、施設を探す話。幸いにも小さいながらも良さそうな”なぎさホーム”に入居できることになって泉と百合子が連れだって訪れる。
 百合子とこれでお別れ、泉は帰りのタクシーが来るのを見ながら、「また来ます」と小声で答えるも、母の方を見ることが出来なかったその心境、どちらの方の心境を思うとうるうるしてしまう。

 やはりプロローグに出ていた半分の花火のこと。
 百合子の認知症が進み、半分の花火がみたいと言うのを諏訪湖祭湖上花火と思い、泉がホテルを取り百合子を連れて行って見物した後も、「見たいの。見たい!半分の、半分の花火が見たい!」と。その後百合子が亡くなり、空っぽになった百合子の家で、そこで見たものは・・・。
 いつ自分にやってくるか知れない認知症のことは、なって欲しくないことであるからついこの本に関心が行ってしまった。
 余談に記したが、著者の話を聞くにつけ多少とも認知症のことを理解できた。
 

余談:

 6月13日のNHKテレビ“ニュースウォッチ9”で著者川村元気の話が聞けた。
 ・認知症の人たちの頭の中で何が起きているかを知りたかった。人が記憶を失っていくとはどういうことなのか。

 ・認知症の人に共通していると思ったことは「記憶が並列化しているということ」
 昔の子どもの頃の記憶と、最近の記憶と今がすべて横並びになって今という時間にある。
  気になるところに向かって歩いている内にいつの間にかここはどこだろうとなるのが”一人歩き”というか、”徘徊”と言われるプロセスなのではないかと思った。
 無軌道な行動をしているわけでもなく理屈があって迷子になっている。
 
 ・話していると、その人の大事な芯だけが残っているような感覚もあって”記憶は本当に花みたいなもので、やがてなくなったり、形があいまいになるが、あの時そこに花があったとか、美しい花をみんなで見たいという記憶が残る。”
「記憶は花のようなもの」と言う意味で「百花」というタイトルになった。
背景画は、自然いっぱいの素材集がErrorとなって消失してしまったので、背景素材無料のものからに。

           
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