片山恭一著 
           『世界の中心で愛をさけぶ』
                          
 



                
2015-05-25




   (作品は、片山恭一著『世界の中心で愛をさけぶ』   小学館による。)

         
  

 本書 2001年(平成13年)4月刊行。

 片山恭一:(本書より)
 
 1959年愛媛県生まれ。福岡県在住。九州大学卒業後、1986年「気配」で文学界新人賞を受賞しデビュー。主な作品に「きみの知らないところで世界は動く」(新潮社刊)「ジョン・レノンを信じるな」(小社刊)「満月の夜、モビイ・ディックが」(小社刊)、最新刊として「空のレンズ」(ポプラ社刊)がある。

主な登場人物:

ぼく、朔ちゃん
(松本朔太郎)


祖父

アキと中学2年の時同じクラスで共に学級委員に。そして高校で再び一緒のクラスに。
・母親は図書館勤務。僕の家は図書館の敷地内にある。
・祖父は一人でさっさと中古マンションに移ってしまう。

アキ
(広瀬亜紀)

そこそこに可愛くて性格が良く、勉強も出来る。共に男女の学級委員のため過不足のない関係が続いていたが、二学期の文化祭で“ロミオとジュリエット”をやったことなどから高校に入ってぼくのアキに対する恋愛感情が偽りのないものに。
高校の修学旅行時アキは入院していてオーストラリアに行けず。

大木龍之介 中学のクラスメイト。足を骨折したときぼくとアキで見舞いに行く。家は真珠の養殖を営み、ぼくの頼みにのって・・。

物語の概要:(図書館の紹介記事より)

 僕はいったいあとどのくらい、アキのいない世界で生きていかなければならないのだろう…。初期村上春樹を彷沸とさせる気鋭作家の恋愛タペストリー。十代で主人公が体験した恋人の死を巡り、物語は静かに切なく動く。

読後感:
 
 2004年にこの原作で映画化されていた。その影響もあったのかアキの素直で真っ直ぐで明るい人柄が演じた長澤まさみの印象と非情に似通っていることに納得していたようでなんだかそんな世界の話に酔っていた。そのわりにじ〜んと胸にきて涙が出てしまうと言うこともなかった。確かに悲しい話ではあるけれど。

 興味深かったのは祖父とサクのやりとりが印象深い。サクが父親や母親との会話でなく、祖父との交流で双方の悩みをやりとりしているところに感銘を受けた。
 映画は見ていないが、ネットでストーリーや配役を見てみると小説のラストの章で描写されている10年後位のサクと彼女の頃から昔の物語を回想しているのかなと思われた。まあ映画は原作を元に脚本家や監督の思惑で表現されるものだから必ずしも小説通りではないのだから。

印象に残る表現:

 サクがアキの死に目に会えなかったことに祖父が語る言葉:

「最期のとき、彼女は僕に会おうとしなかったんだ」ずっと気にかかっていたことを口にした。「会うことを拒んでいるようだったどうしてだと思う?」
「わしらは二人とも、好きな女の死に目に会えなかったわれだな」祖父は僕の問には直接答えずに言った。
「どうして彼女は、ぼくが最後までそばにいることを望まなかったんだろう」

「なあ朔太郎」と祖父は言った。「人はいろいろな別れに遭遇するものだ。奇妙なことに、わしらは二人とも同じような体験をすることになった。二人とも好きな女と一緒になれず、死に目にも会えなかった。おまえの辛さはよくわかる。だがね、それでもわしは、人生はいいものだと思うよ。美しいものだと思う。美しいなんていうといまの朔太郎の実感にはそぐわないかも知れないが、実感としてそう思うんだ。人生は美しいとね」

 祖父はしばらく自分の言葉に浸るようだった。やがてぼくの方を向いてたずねた。
「美しさの正体はなんだと思う」
「パス」素っ気なく答えた。
「人生には実現することとしないことがある」祖父は諭すように言った。「実現したことを、人はすぐ忘れてしまう。ところが実現しなかったことを、わしらはいつまでも大切に胸の中で育んでいく。夢とか憧れとか言われるものは、みんなそうしたものだ。人生の美しさというものは、実現しなかったことにたいする思いによって、担われているんじゃないだろうか。実現しなかったことは、ただ虚しく実現しなかったわけではない。美しさとして、本当はすでに実現しているんだよ」

  
余談:

 不思議に思うことがある。本作品若いアキと朔太郎のアキの死を目の当たりし可哀想というかやるせなさを感じるのに、意外と涙が出てこなかった。ところがこの前に読んだ辻村深月の「ロードムービー」はなんだか涙が溢れてきて文字が読めなくなってしまう場面もあった。どうしてかと思ったら、どうも前者が朔太郎の語りで表現されているのに対し、後者は会話によってその心情が読者に感情を呼び起こさせるのではないのだろうかと思ってしまった。まあ話の内容にも寄るであろうが、琴線に触れると言うことはそういう所によるところが大きいのではと思ったり。 
 背景画は、アキが行けなかった修学旅行先のオーストラリアの土産物のアポリジニの木彫りの人形を利用して。