カミュ著 『異邦人』






                
2014-05-25


(作品は、カミュ著 『異邦人』窪田啓作訳     新潮文庫による。)

         

 
本書 1954年(昭和29年)刊行。
     

 アルベール・カミュ:
 1913年11月、アルジェリアのモンドヴィで生まれる。


 主な登場人物:

ムルソー(主人公=私)
母親 ママン

海運関連の仕事に従事、貧しくまだ若い。母親とはあまり口を利かなかったので養老院に入った方が話し相手がいると思い3年前に入れる。
養老院から母親が亡くなったと電報が来る。明日葬儀の知らせで、雇い主に2日間の休暇を願い、バスで出かける。

養老院の人々

アルジェから80キロのマランゴにある。
・院長 小柄な老人。
・門衛 64歳、パリッ子。5年になる。
・トマ・ペレ老人 ママンの友人。

マリイ・カルドナ もと事務所にいたタイピスト。当時から私が憎からず思っていた女性。ママンの葬式の次の日、海水浴場で再会。
エマニュエル ムルソーの会社の発送部で働く同僚。
レイモン・サンテス 同じ階に住む隣人のひとり。女を食い物にする。情娼に手を出し、その兄と揉めアラビア人を含む一団につきまとわれている。ムルソーはその女を懲らしめるために手紙を書くことを依頼される。
サラマノ老人 同じ階に住む隣人。老いたスパニエル犬と住むが“くたばり損ないめ”と罵りつつも、いなくなると、ひとりぼっちになると涙を流す。
マソン レエモンの友人で大男。別荘にレエモンを招待、ムルソー、マリンと共に訪れ、そこで事件が起こる。
セレスト レストランを営む。
裁判関係者

・弁護士
・予審判事
・裁判長
・検事


 物語の概要:


 
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見て笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ルムソーを主人公に、不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作。

 読後感:

 カミュの「異邦人」、読書に関連する話題でよく出てくる作品である。そんな中で最近白石一文作品を読み、この著者の素性を調べていく中で若い頃読んだ「異邦人」に大いに影響を受けたとある。そんなキッカケで読んでみた。

 第一部を読んでいるところで「うん?、どういう作品なのかなあ」と思ってしまう。ところが第二部を読み出してなるほどとうなずけるものが見えてきた。だけど何故「異邦人」と言う題名があるのかなあの疑問が。
 やはり解説を読んでみたくなる。

 それとムルソーなる人物が友人のケンカ相手を殺害してしまい、裁判にかけられる。ムルソーに関係のある人達が証人としてムルソーの人物について発言する。そこから第一部で描写されていた状況と、検事、弁護士、裁判官の見方をムルソーがどう感じ、どう見直していくのか。さらには死刑判決の後の心の揺らぎ、上訴するのか二つの仮定をしてそのあとどうしていくのか。処刑の問題を見つめるまでにも至る。人間こういう場に至った時どういう心境になるのか。司祭の話も拒絶、・・・・。

 事件を起こす前のムルソーの行動を検事は突く。そして養老院に入っている母親の死の葬儀でのムルソーの仕草(涙も見せず、顔を見ようともせず、母親の歳も知らぬ。次の日は再会したマリーと海水浴をし、喜劇映画を見て笑い転げていたと判る)が、「・・・母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告される恐れがある、という意味はお芝居をしないと、彼が暮らす社会では異邦人として扱われるよりほかはないということ。」とあることを解説で知り、なるほどと。

 この作品、訳の表現にもよるが、何度となく読み返すことで次第に内容が理解できてくるのではないかと。また感じるところも変わってくるかも知れない。何度も読み返したくなる作品、そんな作品ではないか。

   


余談:
 
 現在に置き換えると、人一人のこのような殺害で死刑となることは考えられないし、最近の話題(袴田死刑囚の48年間の刑務所暮らし)を考えるとこの作品に描かれるムルソーの心境とも相まって心痛しきりである。

        背景画はアルジェリアの首都アルジェのカスバ地区の風景より。(雰囲気を感じるため)                       

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