読後感:
「みどりの月」
奇妙な四人のマンションでの暮らし、“全部やりたいひとがやる”とのルールで部屋は汚れっぱなし、せっかく二人の暮らしが始められると思ったのに自分の居場所がない。その理由はキタザワとマリコは結婚していて、離婚しても良いがマンションの頭金は両方の両親が立て替えている。マリコに言わせると「神様の前で離婚しないと約束しちゃったので破るのが怖い」と。
マリコの薬を飲んでラリッた状態の不可解な行動、サトシの一日中部屋にこもってゲームをやっている姿。最近人の顔が現れて仕事が出来ないと騒ぐキタザワ。散らかし放題の部屋。
そんな時マリコのお母さんが来るというので芝居をすることになる。中年女のおばさんの母親の話が出てきてなんとなくこの作品の素性が現れてきた感じ。
そんな中から彼らの行動は私の理解を超える方向に向かおうとしている。それに私の考えも同調して行こうと・・・。“リセットボタン”のことが意味深。
「かかとのしたの空」
予定も行き先も決めない旅に出た私と夫のキヨハルの様子から、どんな世界があるのだろうかと引き込まれてしまう。それは一度は夢に見る憧れでもある。でも現実にそのような行動を取ることは自分にはまずない。
そんな中、どんなことが起こるかが垣間見られる様子にそうなんだろうと納得してしまう。例えば小さな島でのバンガロー生活。(“印象に残る描写”参照)1週間とか1ヶ月滞在して再び戻っていく際は、要らなくなった物を譲ったり、捨てたり、残る人はどんどん物が溜まっていって、自分の番になると同じようにする。
こんな感情がわき上がってくるとは実際経験してみないと描けないのではなかろうか。そう言う意味でもうけものの読み物であった。
さて興味を覚えるのはこんな風来旅の果てにある物、感じることはどんなことなのか?ラストに胸が高まっていく。
印象に残る場面:
計画のない旅に出てたどり着いた島でのバンガローでの生活の中で感じる様子:
「たとえばバンガローまで続く道を縁取る椰子の木々、たとえようもなく美しい海水とその中の入り組んだ光景、毎日同じ時刻に海に沈む巨大な太陽、それらは私と、あるいは私とキヨハルと、私たちの持つ事情と、けっして混じり合おうとせず遠くにある。遠くにありながらつねに、こちが何ものかと問うことなく認めている。ここに住まう人々もまるで島の光景と同化したように、私たちを扱う。彼らは私たちに何も問わない。どこからきたのか、いつまでいるのか、どこへいくのか、今まで何をしていたのか、いっさい問うことをしない。だから私たちは私たち自身のままでいなければならない。それは私たちをどこか落ち着かなくさせる。部屋をもので満たし、その狭い空間に嗅ぎ慣れたにおいを充満させていなければ、落ち着くことができないのだ」
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