物語の概要:(図書館の紹介文より)
仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにいく。 モロッコ、ロシア、ギリシャ、スリランカ、ラオス、イタリア、ベトナム…。 直木賞受賞作家がこよなく愛する旅を綴った最新作。
読後感:
「八日目の蝉」や「対岸の彼女」、「夜をゆく飛行機」を読んでいる作家のエッセイを読んでみると、旅をこよなく愛する著者の姿、人となりが知られる。
比較的若い時代に旅をした頃の話のようで、三作品の書かれたのはその後なのかも知れない。
中で記憶に残ったひとつにロシアでの列車での車掌の態度、大崎善生著「ユーラシアの双子」でシベリア鉄道での車掌の態度と全くと言っていいほどにていて思わずにやってしてしまう。そして国境というものの意味:
その国と、その国に住む人々の個性を、ものすごく簡潔に明確にあらわしている。個人の性格とは違う国という単位の性格であるという言葉が印象的。(from
The Bopder)
また当然知らない地の知らない生活状況を居ながらにして知ることも大変興味深い。特に観光的でない旅が好きな人の話だから余計に。
最近は特に“世界ふれあい街あるき”(NHKTV)にぞっこんで何気ない普通の町の人との挨拶などを通して聞く生活風景や街並みがいとおしくて仕方がない。特にヨーロッパがいい。 古い住宅も修理したり手入れして営々と使われている姿や、統一されている色調のありよう、自分の住む町をこよなく愛している人々の様子は心に染みる。
一方で本エッセイのような主にアジア地区の素朴さも捨てがたい。
◇印象に残る場面:
・ベトナムでの「Rさんのこと」が心に引っかかって離れない。
Rさん、サンフランシスコでタクシーの運転手をしていて9ヶ月働いて、3ヶ月休暇を取ってベトナムに来て何をするでもなく好きな音楽を聴いて本を読み、ぼんやりと過ごす。
私は人のコアに関するようなことがらを、昔も今も、よっぽどの間柄でなければ私は気安く口にすることができない。
そして日本に帰ってから何ヶ月か経ち手書きの手紙を受け取る。
「いつも通りの毎日――― ぼくにとってそれは、知らない人を車のうしろに乗せて、町をぐるぐる、ぐるぐるまわる仕事だ。ただそれだけだ。どこにもいけないし、どこにも帰れない。ただそれだけだ。でも、だからなんだと? とぼくは思うんだ。人生はフェアだ、どこまでもフェアで、そしてこれがぼくに与えられた日々なんだ。」
私は思う。
彼は何かを決定的にそこなってしまったのだと手紙を読んで私は思った。その欠落を彼自身もよく知っていて、なんとか折り合いをつけているのだと思った。ベトナムでのちっぽけな私の折り合いとは似ても似つかない、巨大で複雑な折り合いを。
・「旅と年齢」
旅にも年齢がある。その年齢にふさわしい旅があり、その年齢でしかできない旅がある。 このことに気づかないと、どことなく手触りの遠い旅しかできない。旅ってつまんないのかも、とか、旅するのに飽きちゃった、と思うとき、それは旅の仕方と年齢がかみ合っていないのだ。
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