角田光代著 『八日目の蝉』







                      
2011-01-25




(作品は、角田光代著『八日目の蝉』 講談社による。)

           
 

 初出 読売新聞夕刊2005年11月から2006年7月掲載。
 本書 2007年3月刊行 角田光代(かくたみつよ)
 1967年神奈川県生まれ。 早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、「空中庭園」で婦人公論文芸賞、05年「対岸の彼女」で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞を受賞。その他の著書多数。
主な登場人物:
 
野々宮希和子 付き合っていた秋山丈博の子をみごもるも、離婚の計画が台無しになると説得されおろす。そんなおり秋山の妻が妊娠、別れる決心をする。そして赤ん坊(生後6ヶ月)を一目見てと忍び込み、思わず抱き上げ、そのまま逃亡生活にはいる。赤ん坊の名を“薫”と名付ける。

秋山丈博
妻 恵津子
長女 恵理菜
(=薫)
妹 真里奈

野々宮希和子と同じ大手下着メーカーに勤務、長野支社から東京に単身赴任してきて希和子と出会う、4歳年上で妻のある優柔不断な男。
恵理菜:
・あの事件後、大学生の時家を出、バイト先で岸田と出会い、妊娠する。

エンジェルホームで出会う人々

奈良県生駒市に拠点を置くエンジェルホームは自給自足の女性を中心とした集団。宗教団体ではなく、いわばボランティア団体。婦人身の上相談所としての存在。
・沢田久美 18歳で小豆島の実家を出、東京に。離婚後子供は相手方に取られ、実家にも帰らず。希和子の逃亡を助ける。
・マロンちゃん、5歳の時からホーム暮らしの11歳、本名安藤千種。母親はダンさん。

沢田久美の実家
(小豆島)

・沢田昌江 久美の母親、素麺屋を営む。

岸田

小中学生を対象とした大手塾の講師、30歳。妻と2歳の子供あり。バイトで来た秋山恵理菜と仲良くなる。
秋山家の両親との軋轢に悩む恵理菜は、岸田の「自分が悪くないときは誤らなくていいんだよ」の言葉を呪文にしてなんとなく離れられないでいる。


物語の概要:(図書館の紹介より)
  
 逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。 誘拐犯と誘拐された子。 理性を揺るがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。 角田光代が全力で挑む、サスペンスフルで胸をうつ長篇。
 

読後感:

 今年見たテレビドラマの中で印象に強く残ったのが「火の魚」ともう一つ、本作品の「八日目の蝉」というこちらは6回連続のドラマであった。それで読み始めたのだが、読んでいくうちに次々とドラマで見たシーンが回想されてきてなつかしさとその時の感動がふつふつと沸き上がってきた。こちらの方は原作を忠実に再現しているようであった。
 主人公の母親(ドラマでは檀れい)と薫の親子の姿、関わり合う沢田久美やその実家の母親の姿、瀬戸内海の海と神社のシーン、エンジェルホーム内の出来事とつきつぎ画面がまぶたに浮かんでくる。
 どうしてこんなに胸に迫ってくるのかなあとあまりお涙頂戴的なものは敬遠しがちだが、母親の子供に対する愛、思いやりのある気持ちが琴線に触れ、つい感じてしまうものらしい。

 ドラマの方は野々宮希和子を主眼においたもの(小説での1章部分と2章の最後)で、逮捕されてからのことを描いた2章の部分はなかった。小説の方では2章として秋山恵理菜(誘拐された薫)が主人公となりあの事件後の家庭内の荒れたさま、エンジェルホームで仲の良かったマロン(本名 安藤千種)が本を書きたいと訪ねてきて、過去の出来事を振り返ったり、裁判のこと、引き裂かれた人生と自分の先の不安を赤裸々に語り合う。
 
 幼いときに誘拐され、3年半の想像を絶する経験をしたことで元の家庭の崩壊、薫の人生をめちゃくちゃにされたその影響を読んでいると、先に感じた希和子と薫の母子のせつなさなんて吹っ飛んでしまった。
 そしてもうひとつ、“八日目の蝉”の意味「七日で死ぬよりも、八日目に生き残った蝉の方が悲しいって、思っていたけれど、それは違うかも。八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから」ということが、あの事件の後をつづる中で見えてきた。
ドラマにはこの部分が省かれてしまったと思った。

 そして最後の方で、身重な身体で秋山恵理菜と千種が岡山港からフェリーで小豆島に向かう場面。幼いときに一番幸せな時間を過ごしたあの場所に来てみて、初めて味わうもの。
 憎いはずのあの女のことを懐かしむように、かかっていた霧が晴れるように色々なことが解き放たれる。一気にまた希和子と薫の親子の結びつきを懐かしんでしまう。

印象に残る場面:
 大人になりあの女と同じような状態になって小豆島に向かう秋山恵理菜(=薫)が悟る場面:

 17年前の土庄港で野々宮希和子が逮捕される瞬間、叫んでいた言葉をはっきり思い出す。
 その子は朝ごはんをまだ食べていないの。
 そうだ、彼女は私を連れて行く刑事たちに向かってたった一言、そう叫んだのだ。
 その子は、朝ごはんを、まだ、食べていないの、と。
 自分がつかまるというときに、もう終わりだというときに、あの女は、私の朝ごはんのことなんか心配していたのだ。 なんて、―――なんて馬鹿な女なんだろう。 私に突進してきて思いきり抱きしめて、お漏らしをした私に驚いて突き放した秋山恵津子も、野々宮希和子も、まったく等しく母親だったことを、私は知る。
   

余談:
 秋山恵理菜(=薫)が大人になり、
 ドラマと小説、今回の場合、小説の最後の野々宮希和子の思い、秋山恵理菜の思いは小説を通して確実にこちらに伝わってくる。ドラマではその思いは視聴者が感じないとというか、感じる部分は視聴者によるところである。
 必ずしも思い通りなものが伝わるとは限らない。 悩ましいところである。 今回原作とドラマの両方を読んで、観て得をした。
背景画はNHKTVドラマのWeb情報を利用して。
 

                               

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