介山は山科の巻の最後でかく言っている。
今や世界全体が戦国状態に落ちいっている。 日本においても内政的に新体制のことが考えられている。 わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。
といって、最終章である椰子林の巻に入っていく。
第10巻にきて、各地を渡り歩いてきた登場人物達も、駒井甚三郎の海外逃避組を除いて、京都山科付近に修練してきた観がある。 それというのも、再び時代背景がはっきりしてきて、幕末、世の中が今後どう進んでいくのか、薩長や公卿、幕府の立場でなく、一般大衆の立場から色々推測、討議、大衆の動きが展開するなかで、登場人物達が活動する。
その中には、京では飛ぶ鳥落とす勢いの威力を示す、新撰組近藤勇が、新撰組から脱退し御陵衛士隊長となっている、伊東甲子太郎暗殺の顛末もある。 おりしもNHK大河ドラマの場面より、詳細な解説付きで、大河ドラマよりもっとリアルに再現してくれる。 その他、幕末においてこの世をおさめることが出来る人物に誰がいるかを議論している場面も面白い。
勝麟太郎の父、小吉の自叙伝である「夢酔独言」を長文引用し、小吉の破天荒な生涯を表し、その父が、子麟太郎が狂犬にかまれたときに示す父親の愛情に目頭が熱くなる。 この自叙伝を読む神尾主膳なる人物も、旗本三千石の身分でありながらも、あまりある悪行もし、遊びもし、今となって改心したかのように人が変わり、自分の自叙伝などを作らんとしている中で、「夢酔独言」を見出し、読みふける。
そして、そのように破格な行状記の後ろに動いている、江戸徳川末期の、空気のどろどろになって、どうにも動きの取れない停滞が、この勝の親父を生んだとみる。
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