中里介山著  『大菩薩峠』 (その4)
                     
2004-11-30

(作品は、筑摩書房による)
中里介山が書き下ろした長編小説。

    

 漸くたどり着いた最終卷。1912から1941にかけて29年間にわたって書きつがれ、作品中でも世界第一の長編小説と著者がいう。我がHPでもこの作品に約半年を費やしたことになる。感慨もひとしおである。


 介山は山科の巻の最後でかく言っている。
 今や世界全体が戦国状態に落ちいっている。 日本においても内政的に新体制のことが考えられている。 わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。
 といって、最終章である椰子林の巻に入っていく。

 第10巻にきて、各地を渡り歩いてきた登場人物達も、駒井甚三郎の海外逃避組を除いて、京都山科付近に修練してきた観がある。 それというのも、再び時代背景がはっきりしてきて、幕末、世の中が今後どう進んでいくのか、薩長や公卿、幕府の立場でなく、一般大衆の立場から色々推測、討議、大衆の動きが展開するなかで、登場人物達が活動する。

 その中には、京では飛ぶ鳥落とす勢いの威力を示す、新撰組近藤勇が、新撰組から脱退し御陵衛士隊長となっている、伊東甲子太郎暗殺の顛末もある。 おりしもNHK大河ドラマの場面より、詳細な解説付きで、大河ドラマよりもっとリアルに再現してくれる。 その他、幕末においてこの世をおさめることが出来る人物に誰がいるかを議論している場面も面白い。

 勝麟太郎の父、小吉の自叙伝である「夢酔独言」を長文引用し、小吉の破天荒な生涯を表し、その父が、子麟太郎が狂犬にかまれたときに示す父親の愛情に目頭が熱くなる。 この自叙伝を読む神尾主膳なる人物も、旗本三千石の身分でありながらも、あまりある悪行もし、遊びもし、今となって改心したかのように人が変わり、自分の自叙伝などを作らんとしている中で、「夢酔独言」を見出し、読みふける。

 そして、そのように破格な行状記の後ろに動いている、江戸徳川末期の、空気のどろどろになって、どうにも動きの取れない停滞が、この勝の親父を生んだとみる。


 
さて、机竜之介はどうなったか。 それを親の仇と追跡してきた宇津木兵馬はどうしたか気になる所だが、机竜之介の世界は、夢の中をさまよう世界。 第一巻以降、想像したような人物像を裏切り、生きているのか死んでいるのか、非情というか、人間でないというか、その行動は理解出来ない。 もちろん同情のかけらもわかない。ただ、作品中に出て来たときは、何をやらかすか判らないところに、不思議に緊張感が沸いてきて、飽きさせないのが憎い所。

 兵馬にとっては、お雪ちゃんと琵琶湖で心中して既に無くなっているという風聞で矛をおさめた模様。 もともと作者には、竜之介と兵馬を戦わせる積もりは無いらしく、机竜之介を実質的に殺害したのは、甲府有野村のお大尽の娘お銀様という暴女王。 そのお銀様は、理想郷を胆吹山につくろうとして失敗、京都山科に第2のユートピアを計画する。

 一方、甲府で神尾主膳の謀略に敗れ、安房に潜み、自ら船を設計して理想郷を求めて南海に旅立った駒井甚三郎の一行。 そこで理想の世界が出来るのか不安な一面を暗示して、物語は未完のまま終了する。



 以上作品中には、その土地土地にまつわる故事、古跡の類をはじめ、宗教のこと、書道のこと、絵画のこと、歌舞伎等の文学、歴史等々色んなことが語られ、解説されて興味も尽きない。

 司馬遼太郎が 『竜馬がゆく』 執筆の前には司馬遼太郎版大菩薩峠を考えていたのもなるほどとうなづけた。一度は読んでみたい作品であった。


   


余談1:

 来年はどんな作品にチャレンジしていこうか、しばらく作品探しを行おうと思う
 


余談2:

 大菩薩峠の表紙には、五種類の表紙絵が使われていたが、背景画にはその中から、第九、十巻のイメージをとらえて作ってみた。

                               

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