中里介山著  『大菩薩峠』 (その3)
                     
2004-10-30

(作品は、筑摩書房による)

中里介山が書き下ろした長編小説。
    
読まないでも、知っているような気がする小説の代表格が『大菩薩峠』。 周囲のだれかれにたずねても『大菩薩峠』は知っていると答えるが、では、全巻を読んだのかと問うと読んでいないという。
今回は(七)(八)巻を中心にその3として取り上げる。 いよいよ次回は最終回。 未完作品とはいえどういう結末へと展開するのやら。 既に登場人物の中には、死んでしまったり、生きる目的を見失って、自決したものもおり、人生の旅の終焉はなかなか思うようにはいかないものか?

海を好む人派と山を好む派の違いについての記述

第(七)巻 勿来(なこし)の巻 田山白雲(貧乏絵師)が千葉の房総から白河の関を目指しての旅の中で。

 わが生を悲しましむることに於ては、海よりも山だと白雲は想う。 海は無限を教えて及びなきことを囁(ささや)く。 人間の生涯を海洋へ持って行って比べることは、比較級が空漠に過ぎるようだ。

 左に磐城(いわき)の連山が並ぶ、その上に断雲が低く迷う――多くの場合、人間は海よりも山を見て、人生を悲しみたくなる。 それは特に山に没入する時よりは、山を遠くながめる時に於て、山というものの悠久性が、海というようなものの空漠性よりは、遥かに人間の比較級に親しみが深いからでしょう。 海を見ても泣けない時に、かえって山を見て泣かねばならぬことがあります。

 頭(こうべ)をあげて山川(さんせん)を見
 頭を低(た)れて故郷を思う
 
 このたびの旅行に於て、海は白雲のために友であり、師であって、絶えずこれと共に歌い、これに励まされ来(きた)ったようですが、山がかえってこの男を、人間の悲哀に向って誘い込むらしい。

 磐城の連山の雲霧の彼方に、安達ヶ原がある、陸奥のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠ヶ関(ねずがせき)もなければならぬ。
 それを西北に廻れば、当然、那須、塩原、二荒(ふたら)の山々でなければならぬ。そうして、やがて上州の山河……

旅に関して

第(八)巻 不破の関(つづき)の巻 田山白雲(貧乏絵師)が白河の関を目指しての旅の途中での心境の変化について。

 得てして、人間の旅路というものはこんなものでして、ある程度のところで、ちょっと堪(こら)えられぬようにホームシックにつかまるが、これが過ぎると、またおのずからいい気というものが湧いて出て、かなりの臆病者でさえが、唐天竺(からてんじく)の果てまでもという気分になりたがるものです。

◇気に入った表現

犀(さい)が月を弄(もてあそ)んで、水が天に走るような勢い。




古人の名文は、今人の心を貫くが故に名文なのだ。 名文というものは人の言い得ざることを言うが故に名文なのではない、万人言わんとして言い得ざることを、すらすらと言い得るから名文なのだ。






大菩薩峠と 中里介山記念塔(文学碑)のフォト(2004-10/下旬撮影)

   


余談:

 作品の中盤以降、現実と幻想の交差する場面がときどき出てくる。 琵琶湖畔の長浜の街に現れた机竜之介。その前に現れた母子は、同郷の木下籐吉郎を訪ねる途中と語り、さらに 平清盛の寵愛を受けた祇王までもが姿を現すというふう。
その他、各地での名所旧跡のいわれや詩歌など平安時代から幕末に至る色々な事象、人物の話が織り交ぜられ、作者中里介山の識者ぶりに感心する。

 


                               

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