中里介山著  『大菩薩峠』 (その1)
                     
2004-08-30

 (作品は、筑摩書房による)  

 中里介山が書き下ろした長編小説。

         

 作者中里介山は、1913(大正2)年 『大菩薩峠』 の連載を 『都新聞』 で開始。 本作はこの後、掲載紙を変えながら断続的に1941(昭和16)年まで書き継がれる。 しかし長大な作品(四十一巻)は作者の後半生を呑み込み、なお未完に終わるという。

 司馬遼太郎が竜馬がゆくを執筆することにする前、中里介山の大菩薩峠』の司馬遼太郎版を考えていたということで、いつの日にか、読んでみたいと思っていた大菩薩峠。  一冊を読むのに時間のかかること。 (一)から(十)の10冊あるからには、何が芯のストーリーかと思っていたが、その箇所その箇所はそれぞれ面白いのだが、4冊目まで読み至ってもなかなか見えてこない。

 解説部分を読んで判った。
大菩薩峠の発端と最初の頃の展開を見てみれば、大菩薩峠の頂きで老巡礼を斬り殺した机竜之介は、峠の麓の青梅沢井村に下り、そこで宇津木文之丞の妻のお浜の訪問を受ける。 御岳神社の奉納試合で宇津木文之丞を撃ち殺した竜之介は、お浜と共に江戸へ逐電する。

 郁太郎という一子まで儲けたが、竜之介はふとしたいきさつからお浜を斬り殺し、さまようように京都へ行き、新撰組に入ったり、天誅組と行動をともにしたりするが、その関わりから十津川郷で、火薬の爆発で目を潰され、紀伊の国の山中の竜神村に迷い込むのである。
 この「間の山の巻」に至るまでの、「甲源一刀流の巻」から「竜神の巻」までが、多分最初に中里介山の頭にあった、《原・大菩薩峠》とでもいうべき小説の構想の中心軸であって、読者の好評に促されて、作品自体が当初の作者の目論みよりもどんどん膨張、拡大してしまったのである。

 つまり、《原・大菩薩峠》のさしあたりの目処としては、頻繁に殺人を犯してきた竜之介は、その悪業の報いによって盲目となり、文之丞の弟・兵馬の手によって仇討ちされるということで大団円にしようとしていたふしがうかがわれる。


 

 独身主義を貫いた中里介山の個人的な資質にも関わることかも知れないが、『大菩薩峠』の主要な登場人物達、机竜之介、神尾主膳やお銀様はすべて路上の人、道々の輩なのであって、、旅から旅へ、流浪、流転、放浪、漂泊という言葉にふさわしい人々なのである。
 もちろん、それらの人々の連環の中心に机竜之介という人物がいる。 しかし、彼はいわゆる主人公ではない。 と川村湊氏の解説にある。


 そこで、小さい頃見た片岡知恵蔵主演の映画「大菩薩峠」のうろ覚えではあるが<その時の印象と、今回作品で読んだ机竜之介の印象がえらく違うのは、納得出来る。

 さらに、解説によると、介山にとって見れば「人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯(ゆげ)の境に参入するカルマ曼荼羅の面影を、大凡下の筆にうつし見んとする」作品に、「主人公」や「主役」などがいるはずがなく、机竜之介もまさに「人間界の諸相」の一面であり、「カルマ曼荼羅」の一要素に過ぎないことは自明だったのである。

◇印象に残る場面

 介山は、実に省略の妙を心得ているといおうか、事細かに説明することをしないで読者の想像力を喚起する。 そういう技術を駆使して大変な迫力のある殺陣の場面を描き出すことに成功している。((一)津本 陽の解説より)
殺人の殺陣のシーンの語り口は、あたかも講談調で小気味よい。


 土方歳三達が島田虎之助を襲う場面
「殺(や)れ!」
土方歳三は退引(のっぴき)ならぬ決断で火蓋を切ったものです。
「エィー」
銀山鉄壁を裂く響、山谷(さんこく)に答え心魂に徹して、なんとも形容のできないすさまじい気合いともろとも、夜の如く静かであった島田虎之助は、颶風(ぐふう)の如く飛ぶよと見れば、ただ一太刀で、僅かに一歩を踏み出した新徴組の水島某は肩先より、雪を血を染めて魂は浄土へ飛ぶ。
島田虎之助は水島を切って落として、飛び抜けて彼方の立木を後ろに平青眼。
げに夜深くして猛虎の声に山月の高き島田の気合に、さしも新徴組の荒武者が五体ピリピリと麻痺します。
と見れば、大塚某は片手を打ち落されて折重なって雪に斃(たお)るる時、島田の身は再びもとの塀を後ろに平青眼、ほとんど瞬(またた)きをする間に剛の者二人を切って捨てたのです。

長編であるので、読み継いで図書館の本を借りようとしても、予約をしないといけなくなり、遂に(五)はもう一週間も待っても手に出来ないでいる。 待たされるとなおさら読みたくなるのは人の世の人情というものかも。。。。 その2に続く。


余談1:

 作品の中に出てくる話や人物には、時代の流れとしては幕末における政情があるが、引用されている所、はなはだ多方面にわたり、日本の歴史上に現れる人物のエピソードが随所に出て来て、歴史を多少かじった自分としては、その由緒が理解出来、大変面白く読み進むことが出来る。

 

余談2:

大菩薩峠: 塩山市と北都留郡小菅村の境をなす標高1897メートルの鞍部。 北西に大菩薩がそびえ、南にも2千メートル級の山並みが続く。 本文にあるとおり観音菩薩が祭られていることからその名がつけられた。 甲州盆地と青梅、そして武州内藤新宿を結ぶ青梅街道がこの峠を越えた。 大菩薩峠越えの道は、険岨なため通行に不便ではあったが、難所ながら甲州街道の裏街道として往来も多かった。

                               

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