井上靖著  『しろばんば』、『夏草冬濤』、『北の海』
 

                   
2007-01-25

(作品は、井上靖著の下表の通りによる。)

      
     
      

しろばんば

井上靖全集第13巻
昭和35年(1960)53才の時の作品。
昭和35年1月より37年12月まで「主婦の友」に連載。

夏草冬濤
(ふゆなみ)

新潮文庫
昭和39年(1964)57才の時の作品。

北の海

井上靖全集第19巻 新潮社
昭和43年(1968)61才の時の作品。
昭和43年12月より翌44年11月まで「東京新聞」他に連載。


◇しろばんば

 主人公洪作は、「しろばんば」では小学校1年生から6年の卒業間際まで、伊豆湯ケ島にいた。父が豊橋から浜松に転任したのを機会に、浜松中学を受けるため、少しでも空気になれる名目で、浜松に移ることになった時までの事柄が語られている。

 著者によると、「私が幼少時に於いて経験したことを、なるべく大人の解釈をほどこさないで、幼少時代の私の心がそれをどのように受け取り、どのように反応したかを書いている」とある。

 浜松に行く前は、両親は豊橋に住んでいたが、洪作は両親とは離れ、伊豆湯ケ島の曽祖父母、祖父母たちの住む上の家のすぐ近くの土蔵に、おぬい婆さんと二人で住んでいた。

読後感:

 特に洪作が影響を及ぼされた出来事には、叔母に当たる若いさき子先生が肺病で亡くなったこと、中学受験の勉強のため、指導を受けていた犬飼教師が神経衰弱になって、転校していったこと、これまで育ててくれたおぬい婆さんが老いて亡くなるという憂きこと等がある。別れの寂しさ、人の愛情、好きになることの感情といった幼いときに経験する色々なことによって次第に成長する洪作がそこにはあった。

◇夏草冬濤(ふゆなみ):

 中学一年生の間を浜松中学で送り、二年の初めに沼津中学へ転校してきた。
 軍医だった父が、浜松の連隊から台北の師団に転任することになり、母や弟妹(ていまい)は父と一緒に台北に行ったが、洪作だけは学校のこともあり、父の姉に当たる三島の伯母の家から沼津中学に通った。
 三島から沼津まで5キロを歩いていく徒歩組の仲間に、増田と小林と洪作の三年生仲間と色々経験するが、一方、上級生の金枝、藤尾、木部の文学仲間との交際があった。


読後感:

 鞄を無くし教室(授業)で教科書を持っていない負い目、人に借りたり、隣の人に見せて貰ったりそのときの情けなく、不安な気持ちが伝わってくる。大人になり、定年退職してそんな心配などなにもないのに、夢の中で授業の科目の予習を何もやっていなかったり、曜日を間違えて科目を持ってきてしまった夢を見て、何とも情けない気持ちがし、目が覚めて、あぁよかったと感じてしまうことを思い出す。
 小説に出てくる三島や沼津の様子は、入社したてで富士にいた頃の懐かしさでノスタルジーを覚え、夢中になって読み進んだ。


◇北の海

 登場人物も「夏草冬濤」の主人公洪作他藤尾、木部、金枝などおなじみの人物が出てくるが、「北の海」では、それ以降の、高校卒業後の各自の進路がそれぞれ別れていき、洪作は静岡高校の受験に落ち、いわば浪人生活の行動が主になってくる。

 卒業後も沼津に一人残り、元の中学の柔道部活に入り浸ったり、金沢四高の蓮実と出会って四高行きを勧められる。親元の居る台北に戻って受験勉強をする決心をしながらも、事前に四高を見ておく必要があると、金沢での柔道の夏期合宿に参加して、出会った友達と十日間ほどの生活を共にしてしまう。

 その時の金沢という土地で、また柔道部の友達との生活をすることで、沼津でのいままでの友達との隔たりを感じる洪作の姿が描かれる。

 解説に著者の言葉があり、「北の海」が取り扱った半年は、作者にとっても、主人公洪作にとっても少年から青年へと移行する特殊な一時期である。青春前期の野放図もない明るさを描きたかったとある。

読後感:

「北の海」で金沢に行った時の友達付き合いをした後、沼津に戻ってきて 「夏草冬濤」での友達と再び交わりをしてみて、沼津でのいままでの友達との隔たりを感じる洪作である。しかし、ちょっと旧友との交わりを続けると以前と変わらない状態に感じてしまうのはよく経験するところであろう。

 沼津を去り、台北に向かう洪作との別れ、見送る駅舎での様子など、そのときの雰囲気が伝わってきてじーんとしてしまう。
 ページが多いに係わらず、記述される毎日の生活状態、友達との会話、心情の変化、情景描写など、作者の61才での作品を考えると、何とみずみずしい感覚でつづられていることか。

 学生時代の良き頃、こんな友達と付き合っておれたら、どんなにか楽しい時間であっただろうかとうらやまれる。
 自分も社会人になりたての頃、静岡県の富士市で寮に入って同期の友達と暮らした頃の思い出が懐かしく思い出された。

  

余談:

 三作品を通して、どれも大変な長編作品であったが、そこに出てくる出来事とそれらに関する友達との交わり、気持ちの変化、さびしさ、ほろ苦さなど、人生の諸々のことが詰まっていて、自分の第二の故郷とも言える静岡で展開することも身近に感ぜられ、印象深い作品であった。

背景画は、沼津の千本松原の風景。

                    

                          

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