井上ひさし著  『父と暮せば』



 

              2008-9-25








(作品は、井上ひさし著 『父と暮せば』 新潮社による。)

            
  
 

 初出 「新潮」1994年10月号
 1998年(平成 年)5月刊行

 

主な登場人物:


福吉美津江

広島に原爆が落とされたとき、友達の昭子のお陰で火の玉の熱球から救われる。しかし直撃された父親は助けられないでその場を去ったことを悔やんでいる。いまは図書館の館員、23歳。原爆病が再発しないかと心配している。
竹造 美津江の父親にあたる。広島に原爆が落とされ、亡くなっている。美津江の恋の応援団長。
話題に上る人物
 木下 文理科大学の先生、26歳。広島に原爆が落とされてその時の資料を探しに図書館に出入りしている。美津江の恋の相手。
 福村昭子
 その母親(おかやん)
県立一女から女専までずうっといっしょ。陸上競技部も一緒。女専で昔話研究会をつくったのも一緒。福吉美津江にとって昭子はピカから救うてくれた人。そしてその母親は実のおかやんのようにやさしゅうくれんさった。

読後感  


 「父と暮せば」は原爆被爆から三年目の広島の話である。その内容はギリギリと胸にねじ込んでくるように鋭くて重い。しかし随所に笑わせるエピソードがあって、悲喜劇としての風格がある。と言うフレーズに惹かれた。

 そして解説に戯曲の劇作家の真髄、「舞台でしかつくることのできない空間や時間=演劇的空間」を苦心して創り出そうとするのが劇作家である。

 最初の内は竹造という美津子に“おとったん”と呼ばれる人物の素性がおやっと思っていたら、この解説を読んでなるほどと納得。この世にいない父親の姿を借りて、美津子のもう一つの娘を表していたとは。

 重く厳しい内容であるが、ちっとも暗くなることなく、むしろ明るく、また何とも言えない味の広島弁とでいっそうやるせなさが残るストーリーに、考えさせるものが残るドラマであった。 しかも舞台の盛りあがりが伝わってくる情景が浮かんできて、短い100頁余りの筋書きではあるが、胸にずしんと来る作品であった。


印象に残る場面:

◇美津江が、仲の好かって福村昭子のおかあさん(美津江に実のおかやんのように優しかった)に会いに行って言われた言葉: 

美津江 おかあさんはうちの顔お見てごつうよろこんで、ぶらあ起きあがると、うちを力いっぱい抱きしめて、よう来てくれたいうてくれんさった。ところが、昭子さんのことを話してくださっとるうちに、いきなりおかあさんの顔が変わって、うちを睨みつけて(言えなくなる)・・・

竹 造 どうなさったんいうんじゃ。
美津江 「なひてあんたが生きとるん」
竹 造 ・・・・・!
美津江 「うちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんてでですか」

  少しの間

美津江 そのおかあさんも月末には亡うなってしまわれたけえど・・・。
竹 造 つまらん気休めいうようじゃが、昭子さんのおかやんは、そんとき、ちいーっと気が迷うて、そよなことを・・・、
美津江 (はげしく首を振って)うちが生きのこったんが不自然なんじゃ。
竹 造 なにいうとるんじゃ・・・。
美津江 うち、生きとるんが申しわけのうてならん。
竹 造 そよなこと口が裂けても口にすなや。


  

余談:

 今回初めて戯曲を取り上げたが、小説と違い、盛り上がるところは説明でなく会話とそのシチュエーションに集約されているのがまたいいものである。役者にしろ、観客にしろ舞台のすばらしさに夢中になるのも判る気がする。又機会を見て戯曲に挑戦してみたい。
 

背景画は、広島原爆ドームのフォトより。

                    

                          

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