井上荒野著  『切羽へ』


 


              2010-11-25




(作品は、井上荒野著 『切羽へ』 新潮社による。)

         
  

 初出 「小説新潮」2005年11月号から2006年10月号に連載。
 本書 2008年5月刊行。第139回直木賞受賞。(2008年上半期)

井上荒野(あれの):

 1961年2月東京生まれ。小説家井上光晴の長女。成蹊大学文学部米文学科卒。1989年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞受賞するが、その後小説を書けなくなる。 2001年に「もう切るわ」で再起。2004年「潤一」で第11回島清恋愛文学賞、2008年「切羽へ」で第139回直木賞を受賞。

主な登場人物

麻生セイ
(私)
夫 陽介

東京から船便でつながる離れた島の小学校の養護教諭(保健室の先生)。8年ほど本土(東京)で暮らし、夫の陽介と知り合い、島に戻る。亡き父はかって島で診療所を開いていた。
夫の陽介も島育ちだが半分よそ者、画家で東京で個展を開いたり。

石和聡(さとし) 新任の教師として島に赴任してくる音楽の専任教師で非常勤講師。若い男。出身は東北の島と言うが多くを語らず。
月江 島の小学校の先生で、麻生セイの友人でもある。本土さんと不倫関係にある。

本土さん

月に一二度島に月江と会いに来ているがその頻度が増している。
小学校の先生達

生徒数9人の島の小学校。
・校長先生
・教頭先生

しずかさん 90近いおばあさん。セイにきわどい言葉で毒づいたりするが、セイは好ましく思っている。

(補足)切羽:
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」


物語の概要 図書館の紹介文より。
 
 静かな島で、夫と穏やかで幸福な日々を送るセイ。夫以外の男に惹かれることはないと思っていた。彼が島にやってくるまでは…。廃墟の多く残る静かな島を舞台に描く、美しい切なさに満ちた長編恋愛小説。 

読後感

 最初の出だしの描写でこれは恋愛小説なのかととまどい一寸読み進むのを躊躇してしまった。しかし読み進む中でその心配も消えてしまった。
 島での生活は少ない人数の子供達との交わり、しずかばあさんとの日常の面倒を見る静かな様子、月江と本土さんと私と夫の崖の上での交わり、夫との穏やかで思いやりのある生活模様。 時間がゆったりと流れていく中で、新任教師の石和の出現で、何となく波立つ思い、変化が次第に気持ちを揺らして、月江と本土さんとその妻の言い争い場面、月江の理解できない行動、 一方でしずかばあさんが入院、死が次第に近づいている雰囲気に何か終焉が待っているような。

 石和との別れも淡くいつのまにか過ぎ去ってしまい、波風が静に治まって新しい生活が始まろうとする。
 激しい恋心でなく、自分の幸せの中でなんだかハッキリと主張する恋でもなく流されていく、都会ではみられない遠くの世界の中に自分をおいたような夢を見ていたかのよう。
 章(?)が三月から始まり月がおうごとに時が流れていくさまが展開される。


  

余談:

 作品中に使われている方言で雰囲気が非常に醸し出されていて好ましかった。直木賞の講評の中で井上ひさし氏に“九州方言”とあった。「ここで実現された九州方言による対話は、これまでに類を見ないほど、すばらしいものだった。これほど美しく、たのしく、雄弁な九州方言に、これまでお目にかかったことがあっただろうか。」というこの九州方言で票を投じたという。

 股林真理子氏が。」「性交のシーンは、恋愛小説において心臓部分である。我々作家は、そこをいかにエロティックに、新鮮に描くか苦心する。」「ところがどうだろう、「切羽へ」は、この心臓部分をまるっきり失くしたのだ。そのかわり、指から踵の端まで、神経と血液を張りめぐらした。選び抜かれた比喩、文章のリズム、巧みな心理描写。どれをとっても素晴らしい。当然の受賞であろう。」とあるのに興味あり。

背景画は、NHKTVの思い出の曲より「千の風になって」の一場面を利用。

                    

                          

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