池波正太郎著 『真田太平記』 (三)







              
2008-06-25



(作品は、完本池波正太郎大成 20『真田太平記(三)』 講談社 による。)

                  
 

真田太平記20巻 昭和55年1月−昭和57年12月 「週刊朝日」に連載。
1999年5月本書初版刊行

 

第20巻概要: 

 加藤清正、浅野幸長、高台院(秀吉の正室)の努力で秀頼の家康との対面が実現し、和平がなったかと思われたが、清正の死、幸長の急死により、家康が自身の年齢を考えると天下を取ることへの執念で、大坂方に対し狡猾な罠を仕掛けていき、大坂出陣となる。
 紀州・九度山では真田昌幸が亡くなり、幸村は大野治長の要請により大坂入城を果たす。
 冬の陣では真田丸を拠り所に、関東勢を苦しめたが、和睦の条件で濠を埋められ、夏の陣では野戦で家康の陣を急襲し肝を冷やさせる。
 大坂の戦後、徳川幕府は秀忠将軍のもと、幕府隠密を放ち隙を見つけては諸大名の力をそぎ、移封を企てていく。
 真田本家となった真田信之は微塵の隙も見せず、つけ入る隙を見せなかった。


主な登場人物:

真田安房守昌幸 真田信之、幸村の父。関ヶ原の敗戦で蟄居先の九度山にて病死。

真田伊豆守信之
(以前の源三郎信幸)

妻の小松殿(家康の養子=武勇の名臣本田忠勝の娘)の尽力もあり、終始家康を裏切らず、家康の信頼を勝ち取った信之も、二代将軍秀忠の真田家に対する憎しみは消えず、家康亡き後いろいろと難題を受けることになり・・・。

真田左衛門佐幸村
(以前の源二郎信繁)

とかく父安房守昌幸の蔭にあって世の中では幸村の評価は定かでなかった。大坂冬の陣、夏の陣で天下に幸村の戦将としての評価高まるも、所詮請われての戦で総指揮を任されたわけでなく・・・。

山手殿
妹 久野

昌幸の正室。昌幸没後は沼田の信之の元に引き取られる。

向井佐平次
子 佐助

妻もよとともに沼田城で信之の身の回りの世話をしていたが、幸村が大坂城に入城したことでひそかに出奔、幸村と再会する。最初の出会いで幸村が「おれとお前はいつの日か、一緒に死ぬるような気がする」との言葉通り・・・。
お江(こう) 幸村のために仕える真田家の女草の者。大坂夏の陣では幸村から戦忍びで死ぬことを止められ、唯一人生き残る。大坂の陣で幸村の死後、真田本家となる信之のため最後の働きに生き甲斐を見出す。
京、小野のお通 家康、大坂方、天皇にも認められた当代の才女。信之、幸村兄弟の密会に立ち会い、その容貌の若々しさ、豊熟の姿態、取り持ちの飾りっ気のなさ、素朴でいて行き届いたもてなしぶりに信之、恋情を燃やし・・・。
鈴木右近忠重 京の伏見屋敷に留められ、信之の懐刀として働く。幸村−佐平次と同様、真田信之とは一心同体の主従というより信頼の仲間。

滝川三九郎一績
(かずあつ)

信長の重臣、晩年は不遇の滝川一益の長男一忠の子。関ヶ原の戦いの前、真田昌幸の女お徳との間に生まれた於菊を預けられたが、これを妻にする。生き方は川に水が流れるように、おのれの環境に逆らうことなく、それでいて自分を捨てたことがない。
大坂の戦では家康の側使いを務め、幸村の攻撃に際しては家康の側を離れず、幸村と交戦し、家康を助ける。これにより家康のおぼえ良く、幸村の妻子を預けられる。幸村の妻は大谷吉継の娘で、家康は大谷吉継を好感していた。さらに幸村の二人の娘を養女として育てる。
信之は三九郎を「わが家の恩人である」と言ってはばからず。

小川治郎右衛
妻 伊佐

真田信之の信頼熱い侍臣。
馬場彦四郎 真田信之の信頼熱い侍臣、小川治郎右衛門とは仲の好い碁仲間でもある。しかし、樋口角兵衛と小野のお通の屋敷から出て来るところをお江に見られている。信之はそのことを知らない。
矢沢但馬守頼康 矢沢頼綱の子、いまや昔の矢沢頼綱と真田伊豆守信幸の関係のごとく、分家した信之の長男信吉の育ての親として沼田城に最後の奉公を申し出る。


読後感:
 
 真田幸村の名はよく知っていたが、この小説では、父親の昌幸の蔭になってその優秀さをとかく世に知られていない風に感じられた。昌幸が死に、漸く大坂の戦いでその実力が示され、家康を恐れさせた感がある。それに比べ、兄の信之(信幸)は父から頼りにはされていたが、父は弟の方を好ましく思っていた風で、世間一般では幸村の方が知られていたのではないか。自分としては信之(信幸)のことは殆ど知識がなかった。
 
 しかし小説を読んでいる内に此方の方が好ましく思えるようになり、むしろ応援したくなる感じを持った。大坂の戦が終了後、幕府と真田家の因縁の話は面白く、二代将軍秀忠の真田嫌いは色々と策謀がめぐらされるが、信之のガードは堅く、つけいる隙を見せない。ついに秀忠より呼び出しがあり、信州・松代への国替えが命じられ、命じられるままに受けている。
 
 松代城はかって武田信玄の時代、上杉謙信との戦いのために作られた海津城と呼ばれていたところ。40年の歳月が過ぎ去っていたという。
 この松代での真田信之のことを扱った物語に池波正太郎著「錯乱」と「獅子」がある。
引き続き取り上げたいと思う。


   



余談:
 真田太平記は結構長編の歴史小説である。こういう長編物を読み終えると、何かホットして次は軽い読み物が読んでみたくなるもの。またジャンルの異なるものを選びたくなる。読書とはそんなものかも。


                  背景画は大坂城の外観。



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