池波正太郎著 『真田太平記』 (一)








              
2008-05-25




 (作品は、完本池波正太郎大成 18『真田太平記(一)』 講談社 による。)

                  
 

真田太平記18巻 昭和49年1月−昭和51年11月 「週刊朝日」
1999年3月本書初版刊行

 

第18巻概要:

 武田勝頼軍の高遠城が織田信忠の軍に責め立てられて落城する際に、一介の足軽向井佐平次が武田の草の者の一人お江に助けられることから物語が始まる。武田信玄、上杉謙信亡き後の時代から、信長が本能寺の変で自決、秀吉による天下統一の最後とも言うべき北条方の小田原攻めによって天下平定がほぼ成し遂げられる歴史を縦糸に、信濃にある真田家の運命をめぐる武将、そしてそれを支える武田忍びから真田忍びへと移り変わって補佐する人々が物語を形成していく。


主な登場人物:

真田安房守昌幸

長篠の戦いで2兄が亡くなり、以降の真田家の当主。源二郎を可愛がるが、源三郎は頼りにしている。上田城主。
真田家は父真田幸隆の時に武田信玄に仕えることになった。

真田源三郎信幸
(伊豆守)

兄、上田城をめぐる徳川家康との対戦では本城に昌幸を残し、自ら先手を務め、死を覚悟する。
やがて分家して沼田の城主に、家康の養子(本田忠勝の娘)を嫁(小松殿)に貰うことになり、真田家の運命は・・・

真田源二郎信繁
(後の幸村)

弟、山手殿の子か?との疑問もあるが、兄弟の仲は良好。上杉景勝のもとに人質として行くが、気に入られ上杉家に出仕の形に、その後、秀吉の元に出仕することに。やがて太閤の薦めで大谷吉継の娘と結婚。

山手殿

妹 久野
昌幸の正室。父は天皇の側近く仕える侍従、今出川晴孝。
久野の夫は樋口下総守。下総守は武田家滅亡の時天日山で勝頼に従って自刃、久野とその子角兵衛を昌幸が引き取る。

向井佐平治

子 向井佐助
壺谷又五郎の依頼を受けお江によって織田軍による高遠城落城の際、命を救われ、真田家に仕える。真田源二郎の身辺に付き添う。もよと結婚し、佐助をもうける。
壺谷又五郎 真田家の草の者の頭領。武田信玄に仕えていたが、信玄亡き後、昌幸がたってと譲り受けた男、全国の情報を集め、真田家にもたらす。山中大和守の情報網に比べては少ない。
お江(こう) 真田家の女草の者。父は馬杉市蔵、山中大和守の甲賀に引き揚げる命に背き、真田家の草の者として壺谷又五郎に仕える。それにより甲賀山中忍びからは裏切り者の烙印を押されつけねらわれる。

矢沢薩摩守頼綱

子 矢沢但馬守頼康

矢沢頼綱は父真田幸隆の実弟、上州・沼田城の城代。源三郎信幸の育ての親。
その子矢沢頼康は岩櫃(いわびつ)城の城代で真田家を支える。
薩摩守は真田信幸が分家後、本家の家臣として沼田城に付き添う、信幸には「本家分家の争いが戦となりまいたるときは、それがし、あなたさまへ槍をつけることにもなりまする。その御覚悟にて、兵を養い、領国を治めねばなりませぬ」と言う。

樋口角兵衛 真田昌幸と義妹久野との間に出来た異形の子、本人は出生の秘密を知らず。信幸を好いていたが、やがて幸村を心酔するようになり・・・

鈴木右近
(幼名小太郎)

名胡桃(なくるみ)城城代鈴木主人の子、名胡桃城落城により秀吉の小田原(北条氏)攻めの口火となる事件により主人は切腹、子は救い出され、真田信幸に仕えたいと申し出、やがて無断で出奔、柳生の里で修行することに・・・
山中大和守俊房 甲賀の豪族、武田が滅びた後、甲賀忍びに引き揚げ命令する山中忍びを率いる頭領。織田信長につき亡き後は徳川家康につく。配下の人数は多い。引き揚げに応じなかった

山中内匠長俊
(たくみのかみ)

秀吉の御伽衆、秀吉の忍びの頭。山中大和守とは又従兄弟の間柄。


読後感:
 
 これは武田信玄、上杉謙信の偉大な武将が亡くなり、信長も光秀の謀叛で死んで、羽柴秀吉、徳川家康、北条氏政、氏直親子、上杉勝頼の大勢力の間での、上州、信濃をめぐり真田家存亡をかけ、真田家から見た戦国歴史を垣間見る大長編歴史小説である。
 その中で親子、兄弟、夫婦間の愛憎劇も含め、戦国武将達の姿も心憎いほどの感覚で鮮やかに描かれ、大層興味深い読み物となっている。

 真田十勇士として位しかしかとは知識がなかったが、NHK大河ドラマ「風林火山」での武田家に仕えた真田昌幸の父真田幸隆のことを知り、その子昌幸やその子供達を中心とした信幸、幸村等の活躍、人物像にはわくわくさせられる。
 
 そして信幸が徳川方に傾いていき、父昌幸と次第に心が通わなくなっていく状況が実に切なく感ぜずにはゆかない。また樋口角兵衛がはじめは兄の源三郎信幸を好き、源二郎幸村を嫌っていたのが、ある事件をきっかけに幸村に傾いていく過程も興味深い。第18巻では、鈴木右近が尊敬する源三郎信幸のもとを出奔し、柳生の庄で修行することになるこの後の成り行きも興味深い。

   
 真田家をめぐる城配置図


余談:
 戦国時代の歴史は面白い。この真田太平記で一連の歴史ストーリーを通して理解し直すことが出来て嬉しい。

                  背景画は真田昌幸が築城した信州・上田城(大手門と櫓門)を荒々しさを出して処理。



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