池波正太郎著 『人斬り半次郎』

                   
2005-08-25

(作品は、講談社 日本歴史文学館31 池波正太郎人斬り半次郎による。)

       
 

 歴史文学館の監修は、司馬遼太郎、井上清、松本清張の3氏監修で、永井路子 北条政子 /炎環と同じ。このシリーズが新たに装丁され、きれいになって読みやすくなった。

物語の大筋:

 鹿児島吉野村実方出身、明治維新後桐野利秋と名乗り、日本で最初の陸軍少将になった中村半次郎。薩摩藩の貧乏郷士で唐芋侍と冷笑され、父は大勢の家族を抱え、病気の薬代のため、藩の公金を少し借りたため、無断借用した罪人として島流しを受けた。一家を支えるため、畑仕事を一身にしながら、城下侍に対抗して剣技を学び、やがて人斬り半次郎と怖れられる。

 城下侍でもいちばん身分の低い下級藩士。貧乏で芋を食って育ち、そして出世した西郷吉之助に、人一倍の親しみを感じていたその人に、半次郎の働く姿、城下侍に対する演説をほめられ、殿様(島津久光)が京にのぼる供をしたいと頼む、時に半次郎25才。

 以降西郷吉之助を守り、明治維新を迎え、西郷が鹿児島に引き籠もる時に、桐野も鹿児島に帰り、城山で官軍と闘い死ぬ迄の一生を、幕末から、明治維新の歴史をたどりながら、物語が展開していく長編歴史小説である。

中村半次郎の人柄
 
 明治維新がなり、多くの人が改名をするが、中村半次郎も桐野利秋と西郷に名前をつけてもらう。陸軍少将となった桐野もしばらくは昔と同じに思えたが、次第に好ましいく思えない場面がでてくる。
 
 西郷が朝鮮に談判するため自ら志願をするも、岩倉、大久保の抵抗に失敗し、鹿児島に引き込むことになる。桐野は大久保を斬ると屋敷に斬り込むが、立ちふさがる親友の佐土原英助を「斬ればおたみさんが悲しむ」と斬れず、身を引いて鹿児島にかえる。
 
 その頃までは昔の中村半次郎の性格と変わらなかった。しかし、鹿児島に引き込んで4年も経つと、時代の流れから取り残され、感覚にずれが生じている。

 西郷が私学校党にかつがれ、新政府に尋問の筋ありと東京に向け薩軍を引き連れて熊本城に向け出発すると、桐野は独断で熊本鎮守府長官当てに手紙を出す。 それがもとで、反感を抱かれ、官軍の抵抗で熊本城を落とすことが出来ず、次第に薩摩軍(賊軍)は官軍に追いつめられていく。

 手紙の件については、西郷自身も苦々しく思い、桐野と口も聞かない時もあつたが、やがて敗戦が眼に見えてくると、今までのわだかまりも捨て、昔ながらの西郷吉之助と中村半次郎の関係になり、遂に鹿児島城山の闘いで死んでいく。

 人間が一生を通して、変わらず生きるということは難しい。また、死んだことで、後世に名が残ることは多いといえそうである。

小気味よい表現:
 
 
生涯の中で、中村半次郎が「負けた、死ぬ」と思い決めたことが二度ある。
(1)前島の岸辺における決闘。(2)神田三河町での襲撃に、逃げだす。

以下は(2)の場面:

 着流しの裾をからげた土井九市郎は、おそるべき力で、ぐいぐいと半次郎を押してきた。彼の白くむき出された両眼は、幽鬼(ゆうき)のように光り、何ともすさまじい殺気が雨と共に半次郎を包んだ。
 
 さすがの半次郎も声がなかった。ずるずると、ぬかるみの中を押され、
「ええい!」突き放されたかと思うと、よろめいた半次郎の頭上から、おそるべき土井の一刀が落ちてきた。(いかん・・・)
 
 ほとんど目をとじてあきらめつつも、無意識のうちに、我からぬかるみの中へ身を投げたのは、半次郎の今までの鍛錬と経験とが、とっさに出たものであろうか――― 土井の一刀は空を切った。
「うぬ!」つづいて、追いかけざまの打込みは、あせりが出て手もとが狂った。

「逃げるぞウ」必死ではね起きて、半次郎はわめき声をあげ、後も見ずに逃げ出した。 後のことは、わからない。
 

   


余談1:
 恋多い半次郎と、でも添い遂げられないで親友や他人に譲ったり、遠くで見ないようにしたりと、子供のような気持ちを失わない、今まで余り知らなかった人柄が見えてくる。

余談2:

 薩摩藩主、島津斎彬(兄)と異母兄弟にあたる島津久光の能力・性格の差。そして彼等に仕えるが、無二の親友であった西郷吉之助と大久保一蔵の、久光への接したかの差は興味深い。

 また、明治維新がなり、征韓論が真っ盛りになった時の、西郷隆盛と大久保利通がこれで親友の仲もこれまでとなる会議、その後の西郷が大久保に別れを告げる会話を通し、お互いの考え方の違いや思いも興味が引かれる。

                               

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