飯島夏樹著  『神様がくれた涙』



                       2009-09-25




 (作品は、飯島夏樹著 『神様がくれた涙』 による。)

            

2004年7月から八月に書き下ろし。
 2005年7月刊行。

飯島夏樹:

 1966年東京都生まれ。8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドウサーファー。ウィンドサーフィン専門誌にエッセイを連載、ダイナミックな人柄を率直に記した文章が好評を博すなど、活動の幅を広げる。

主な登場人物:

野々上純一
(私)

国立がんセンター中央病院の精神科医、19階で“手紙屋Heven”という患者の聞き役を果たしている。湘南の海仲間。

石丸延彦
(通称ノブさん)

ヨットのアジア大会で逆境を克服し優勝したことも、次のオリンピックに向けての期待もあったが、病魔に襲われ20年前にこの病院で胃の全摘手術を受け、今は拓殖大学のヨット部の指導をしている。そして再度の入院。奥さん:友子、息子浩治。湘南の海仲間。
二宮先生 国立がんセンター中央病院の日本屈指の外科医。ハッキリした物言いのする、患者さん達に信頼される評判の先生。自らは糖尿病を煩っている。湘南の海仲間。
みずほさん “手紙屋Heven”のなくてはならない助手。アメリカで30年以上臨床心理学の最前線にいた。
川村雄治 東都高校サッカー部の有名選手。突然身体に異変を感じ(骨肉腫?)検査入院をする。隣のベッドにノブさんの姿、生き方に感化を受けるように・・・。
佐々木美保ちゃん サッカー部の女子マネージャー。小学生のときに雄治に助けられたこともあり、高校で再会、進んでマネージャーをやる。しかし雄治の人が変わった様子に心配している。

読後感:

 まず著者のことを知っておく必要がある。
 ガンで余命宣告を受けたのが2004年6月、この作品の書き下ろしが2004年7−8月にかけてのこと、そして同年8月慣れ親しんだハワイに移住して家族に見とられながら2005年2月永眠、享年38歳。2002年に癌と診断され以降、うつ病とパニック障害を併発後も、二度の大手術と様々な治療を施したにもかかわらず悪化と、この本の略歴に記されている。

 こういう状況の著者がよく冷静にこのような小説が書けたものだなあと感心してしまう。しかも内容は読者に元気を起こさせるもので、さぞこんな風に生きたかったんだろうという願いを込めて書かれたのではないだろうか。重いテーマではあるが、実に前向きで温かくそして押しつけがましくなく、素直に受け入れられるもので、すんなりと読めてしまった。やはりスポーツで色んな苦しい状態を経験し、海という大きな懐に抱かれて過ごしてこれた人故、哲学というか悟りのようなものを持ち合わされているんだろうと推察される。

 場面に湘南海岸、葉山の森戸海岸となじみの場所が登場するだけに、読んでいて親近感となつかしさを味わった。自分は今のところ幸い癌に冒されていない健常体である故、実際の癌患者の気持ちは小説にあるように推し量るだけで真に理解することは出来ないが、もしそういうことに至った時はこんな風な生き様ができるだろうか?
印象に残る場面

二宮先生の自分流のガンに対しての三段階のマニュアル。

一.    初期ガンの人は、万全の治療を施したら、その後検査だけはしっかりとつづけ、ガンのことなど、麻疹にでもかかったかのように思うこと。

二.    進行ガンで、まだまだ積極的な治療が出来る患者さんは、病気にびびらず、治療を前向きに受け、一生付き合っていく病と出逢ったとという覚悟を持つこと。・・断片的な知識に振り回されず、ガンや治療法について自分で学んで正しい知識を持ち、・・自分が自分の主治医になり、医師任せにせず一緒に病に取り組むようにすること。ガンとは一生の付き合いだから、ガンが治ってからやろうなどという考え方は捨て、やりたいこともどんどんやること。

三.    末期ガン患者は、とにかく痛みを抑える疼痛緩和ケアをしっかりすること。痛みさえなければ、この病気は突然亡くなる事故などと違って、最期の時に向かって備えることが出来る、ありがたい病気でもある。そして遣り残したこと、後に伝えたい事に一生懸命取り組みながら生きること。

  

余談:
・ 心配は人をうなだれさせる。(明日のことは明日の自分に心配させておけばいい。)
・ マルティン・ルターの詩「もし明日、この世の終わりがやってこようとも、私は今日リンゴの木を植えよう」
(石丸延彦の生き方: (抗ガン剤治療によって1パーセントの直る望みがあるならそれに望みをかけること)それは残される浩二や友子の将来の生きる力になるんじゃねえかなってな、なんかそんな気がするんだよ。 いまリタイヤしちゃいけねえ、腐っちゃいけねえってな。 ツールで優勝は無理だけど、リンゴの木を植えるくらいは出来るだろう。)
 含蓄のある言葉だなあ。

 背景画は、ヨットレースのフォトより。