読後感:
舞台は天竜川の源峰生(みねお)、遠藤家の広大な敷地“常夏荘”を預かる遠藤照子は病弱な夫龍一郎の早逝(享年36歳)後は思い出だけに生きている。息子の龍治とは心が通わない。そんな折義父の遠藤龍巳が愛人であった小夜(19歳)との間に出来た立海を7歳の七五三祝いの後10歳まで常夏荘で預かることになる。立海も病弱。
立海に付き添いとしてきた家庭教師の青井はいじめで不登校になっている間宮耀子(小学4年生)と一緒に教育をしたいと。常夏荘を預かるおあんさん(遠藤照子)と立海、耀子のお互い影を持つ三人の奇妙な結びつきが巻き起こす様子が胸に響き、ホッコリとした気持ちにさせてくれる。
そんな中、親と子どものそれぞれが思う気持ちが心を打つ。
ふと母親に捨てられたのかと思う立海の寂しさ。それをとりなす照子の行動。きたない、くさい、ドジ、生きているのが迷惑なんだと悩む耀子に対する立海の接し方、イタズラ、いじめの張本人と思われていたハム兄弟の心根。青井先生の毅然としていて思いやりのある指導。立海の母親小夜と照子のやりとりから見る母親の心情などなど、登場する人物のやりとりに著者の温かみがじわっと感じられて舞台の雰囲気と共にさわやかな読書の世界に引き込まれた。
印象に残る場面:
◇遠藤立海が母親に置き去りにされた理由を遠藤照子に問うた時に、照子が母親に会わせてあげると庵に連れていき長持を見せる:
息子に何もあげられないと泣いた母親は、全ての肌着に背守(せもり:子どもの魂がどこかに連れて行かれないよう、健やかに育つようにつけた魔除の印)を残していった。膨大なその肌着は最初は東京にあったのだが、近々に使う物以外はすべて、龍巳はこの場所に運んだ。
背守の糸にそっと照子は触れる。
稚拙だがその針目は力強く、痛いほどの思いが伝わってくる。
母の祈りを―――。
魔を退けようとする母の力を。
「立海さんがきらいで別れたのと違うの。手がかかるからと置いていったのとも違う。子どものことがきらいな母親なんていないんよ」
立海が肌着に手を伸ばし、背守をほおにあてた。
「大人には大人の事情がある。子どもにはわからない、どうにもできない事情が。だけどいつかすべてがわかるときがくる」
いつ、と立海が聞いた。
「大人になったら。そうしたらすべてがわかる。許せなくても、わかるときがくる。人がなんと言おうと、この糸はお母様につながってる」
肩から落ちかけたショールもそのままに、耀子が背守を見た。
その眼差しに、この娘も母親との縁が薄いことに気がついた。
手を伸ばしてショールをかけ直してやる。思えば自分だって家族の縁が薄い。
◇間宮勇吉が耀子の扱いに戸惑い語る言葉に青井が語る:
「心底、悲しいと立海さんは泣かない。心の糸をぷっつりと切る。人形みたいになって、すべてを遮断してしまう。耀子ちゃんもそう。うずくまってすべてを遮断する。そうしないと心が壊れてしまうからです」
間宮が座り直した。それを見て、青井の口調が少し柔らかくなった。
「立見さんはお友達がいないから、本ばかり読んでいた。だから語彙が豊かで、子どもにはわからないと思っている大人の言葉をなんとなく理解してしまう。耀子ちゃんは語彙は少ないです。だけど相手の言っていることをよく覚えていて、すぐにわからなくても時間をかけて理解していきます。二人とも大人の顔色を過敏に読み取るんです。そして心を閉ざしてしまう」
耀子は愚鈍ではない、と青井が言った。
「のろまでもない。じっくりと考えるタイプです。たくさん考えた分、心のなかは豊で深いはず。だけど結果や速さだけを良しとする世界では落ちこぼれてしまうでしょう」
この子に必要なのは何かと、間宮が青井に聞いた。
「自覚と教育です」
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