読後感:
“至福の時”と感じる読書がある。まさにこの作品もそういう部類に入るものである。30代の末の年頃でふと気がつくと人生のすべてのことに心が風邪を引いたような時にさしかかり折れそうになる。そんなとき紀州の片田舎美鷲(みわし)に休養を兼ねて亡くなった母の遺品を整理に訪れた地で、同じ年頃の明るく物怖じしない何も苦しみももたない様な優しい人(喜美子)に支えられることに。
次第に哲司の心が癒されていく中でふとした時に彼女も辛い秘密を持ちながら生きている姿を見てしまう。
美鷲という地の舞台に、主に登場する人物は須賀哲司の他は喜美子とマダム、瞬と舞という少数なだけに内容も集中していて見入ってしまう。
お互いの事情が分かりどうなることなのかと益々高揚していく中で、台風あけの朝、突然現れた離婚ペンディグ中の妻理香により現実の生々しい世界に引き戻される。
さてその後の顛末は・・・・・。
作品中に語られる言葉の中には鋭く突き刺さる思いが読者に迫ってきてそうなんだよと共鳴させられてしまう。あらためてその言葉を噛みしめてしまう。
ラストの場面切なくなってしまって、涙が止まらなくなってしまった。
著者の伊吹有喜の作品はNHKのドラマで「四十九日のレシピ」を見てはじめて知ってその作品を読んでみたいと思った。たまたまその前に本の題名に惹かれて図書館から本作品を借りることになってしまったけれど、いやなかなかいい作品に巡り会えた。
◇ 印象に残る表現:
・母を偲ぶ会で母の友達が去った後、須賀と喜美子が砂浜で語る話から
「いつも思う。親の人生のけじめのつけ方が、子どもの人生に大きく影響するって」
・台風の夜、暗闇の中で哲司は喜美子に自分の秘密を語って:
(補足:母は最初の夫が病死、二度目の結婚で39歳で僕を生んでいる。母がぼけた時呼んだのは最初の夫の名前、自分はその夫の役をした)
「人がぼけてしまうとき、最後に残る記憶が一番幸せな時代だとしたら、母が僕や父と過ごして日々は、何だったのだろう」
それで、と言いかけてまだ声が詰まった。
「もう病院に行けなくなった。母は夫が来ないと泣いていたらしい。でも行けない。亡くなった途端にそんな自分が嫌になった。でも楽になった。もう無理をしなくていいんだ。会社を辞めようが、野垂れ死にしようが、母の期待を裏切ることはない。そう思ったら、ある日、首が回らなくなった。で、職場に行けなくなった。他の場所には行ける。だけど職場の最寄りの駅に着くと動けなくなる。情けない話だね」
・・・・
「ずっと言いたかった――僕は頑張ったんだよ、お母さんなのに、どうして何も覚えてないの?」
・理香が“ミワ”に立ち寄って喜美子に厳しく言い放った後、反省して:
開け放した窓から盆踊りの囃子と太鼓が聞こえてきた。何もなかったら、今夜は哲司を誘って見に行こうと思っていた。
自分の考えの甘さに、喜美子は笑った。
子供に戻るのが許されるのは岬の家にいるときだけなのに、いつの間にか忘れていた。
・たまにふっと見せる、舜の思慮深い表情について
「かなり大人に感じられる時もあるけどね」(哲司)
「そうね。夫婦仲が悪い家の子は、人より早く大人になるから。だけど人間関係に臆病で遠慮がちになるの。自分もそうだから、なんとなくわかるよ」(喜美子)
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