堀 辰雄著 『風立ちぬ 』    
 


              
2008-12-25



    (作品は、堀辰雄著 『 風立ちぬ 』 ほるぷ出版および中央公論社 による。)

        
           

日本の文学67 風立ちぬ・菜穂子 堀辰雄 ほるぷ出版 昭和60年2月刊行。
および日本の文学42 堀辰雄 風立ちぬ   中央公論社 
昭和13年4月を底本。昭和39年(1964)9月刊行

堀辰雄:

 1904年12月生まれ、東京都出身。東京大学文学部国文学科入学後、中野重治たちと知り合う傍ら、小林秀雄らの同人誌にも関係し、プロレタリア文学派と芸術派という昭和文学を代表する流れの両方とのつながりをもった。
 

小説の概要:

 婚約者である節子は結核を患っている、そして私と付き合うようになって「私なんだか急に生きたくなったのね。あなたのお陰で・・・」と言うまでになった。そして八ケ岳山麓にあるサナトリウム(結核療養所)に私も一緒に出かけてふたりで過ごす。私は物書きでそのことを題材にした小説を書こうと春から夏、秋を迎えその時時々の様子を日記につける。


読後感:

 この小説のことを知ったのは、柳田邦男の「もう一度読みたかった本」と題するエッセイを読んで、静寂と感じ、その文章が美しいと言う言葉に興味をひかれた。そしてこの小説は、やはり人間の「生と死」の課題に時代を超えた「答え」を出している作品というのが引き金になった。

 短編小説であるが、私と婚約者である節子の触れ合い、そして節子の父親とのちょっとしたやり取りに娘を思う気持ちが実に見事に描かれている。また結核の病におかされている節子のちょっとした動作、言葉に病人の細やかな心の揺れや、弱々しさが溢れている。その彼女に対し私が愛しく思う心根がびしびし伝わってきて、何とも言えない心地に浸される。こんな小説を書ける作家も素晴らしいなあと思わされた。

 日本の文学(中央公論社)の解説を見て、この作品が昭和10年7月、実際に氏の婚約者矢野綾子が胸を患って富士見のサナトリウムに入院するのに付き添い、その12月に彼女を失った後に完成させたという。

 療養所でのいつもの静かな二人だけの過ごし方、風景やちよっとした動作や様子の描写を読んでいると、自分もその中に吸い込まれ、その時を共有している思いになる。
 
 最後に、柳田邦男の「もう一度読みたかった本」に書かれた以下の文章が、この小説から感じ取れる最大のものではないだろうか。
 すなわち、「風立ちぬ」の二人は、一見具体的な「生きがい」を明示しないまま、サナトリウムでの日々を過ごしていたように見えるが、よく読みこむと、具体的な何かでなく、二人で他者の介入のない、心を通い合わせる濃密な時間を、静で豊かな自然環境の中で最後の刻まで過ごしたということは、精神性において最高の「死の創り方」ではなかったろうか。

こころに残る表現:

◇ 節子の死を感じさせる場面

 12月5日の日記から、節子が傾いた日ざしに低い山の左端に、すこうし日のあたった所「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。」

 その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先を辿りながら私にもすぐ分かったが、唯そこいらへんには斜めな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞しか私には認められなかった。

「もう消えていくわ・・・ああ、まだ額のところだけ残っている・・・」

 そのとき漸(や)っと私はその父の額らしい山襞を認めることが出来た。それは父のがっしりした額を私にも思い出させた。「こんな影にまで、こいつは心の裡(うち)で父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる・・・」
 ・・・
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮かんだ最初の言葉を思わずも口に出した。
 そのあとですぐ私は不安そうに節子の目を求めた。彼女は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、

「ええ、なんだか帰りたくなつちゃったわ」と聞こえるか聞こえない位な、かすれた声で言った。
 ・・・
 私の背後で彼女が震え声で言った。「御免なさいね。・・・だけど、いまちょっとの間だけだわ。・・・こんな気持、じきに直るわ・・・」
 ・・・

 突然咽(のど)をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われていってしまいそうな、不安な気持ちで一ぱいになりながら、私はベッドに駆けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗(さから)おうとしなかった。

 高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、―――何一ついつもと少しも変わっていず、いつもよりかもっと犯し難いように私には思われた。・・・

  

余談:
 印象に残る言葉として、また「・・・あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだとおっしゃったことがあるでしょう。・・・私、あの時ね、それを思い出したの。何だかあの時の美しさがそんな風に思われて・・・」がある。
 
  背景画は中央公論社版の挿入画、堀辰雄詩集 深沢紅子画を利用。