小説の概要:
婚約者である節子は結核を患っている、そして私と付き合うようになって「私なんだか急に生きたくなったのね。あなたのお陰で・・・」と言うまでになった。そして八ケ岳山麓にあるサナトリウム(結核療養所)に私も一緒に出かけてふたりで過ごす。私は物書きでそのことを題材にした小説を書こうと春から夏、秋を迎えその時時々の様子を日記につける。
読後感:
この小説のことを知ったのは、柳田邦男の「もう一度読みたかった本」と題するエッセイを読んで、静寂と感じ、その文章が美しいと言う言葉に興味をひかれた。そしてこの小説は、やはり人間の「生と死」の課題に時代を超えた「答え」を出している作品というのが引き金になった。
短編小説であるが、私と婚約者である節子の触れ合い、そして節子の父親とのちょっとしたやり取りに娘を思う気持ちが実に見事に描かれている。また結核の病におかされている節子のちょっとした動作、言葉に病人の細やかな心の揺れや、弱々しさが溢れている。その彼女に対し私が愛しく思う心根がびしびし伝わってきて、何とも言えない心地に浸される。こんな小説を書ける作家も素晴らしいなあと思わされた。
日本の文学(中央公論社)の解説を見て、この作品が昭和10年7月、実際に氏の婚約者矢野綾子が胸を患って富士見のサナトリウムに入院するのに付き添い、その12月に彼女を失った後に完成させたという。
療養所でのいつもの静かな二人だけの過ごし方、風景やちよっとした動作や様子の描写を読んでいると、自分もその中に吸い込まれ、その時を共有している思いになる。
最後に、柳田邦男の「もう一度読みたかった本」に書かれた以下の文章が、この小説から感じ取れる最大のものではないだろうか。
すなわち、「風立ちぬ」の二人は、一見具体的な「生きがい」を明示しないまま、サナトリウムでの日々を過ごしていたように見えるが、よく読みこむと、具体的な何かでなく、二人で他者の介入のない、心を通い合わせる濃密な時間を、静で豊かな自然環境の中で最後の刻まで過ごしたということは、精神性において最高の「死の創り方」ではなかったろうか。
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