日本の文学古典編 『方丈記』







                  2007-02-25


(作品は、ほるぷ出版 日本の文学古典編 鴨長明作『方丈記』による。)

       

 

 方丈記はその出だし部分の言葉でよく知られているし、印象もそんなところであったが、今回取り上げてみて鴨長明が生きていた時代が、平家物語の世界と密接に関係していることに、そういうことだったのかと新たな発見というか、知ったことが方丈記を身近なものに感じさせてくれた。

 また、以前下鴨神社に行ったことがあり、いつか「方丈記」を読もうと思っていたので、いい機会であった。読んでみて、こんなに短いものであったのかと、初めて気づく。
 以下にこの本から関心の高いところを抜粋して覚え書き風に纏めてみた。

<方丈記の成立>
 建暦2年(1212)3月下旬、長明は「方丈記」を脱稿する。その書き始めはいつか、執筆意図はどの辺にあるのか、必ずしも明確ではないが、引き締まった和漢混合文で、乱世を鋭く活写し、隠遁生活を謳い上げた名作として、価値は極めて高い。

<鴨長明と時代背景のこと>

 鴨長明は久寿2年(1155)ごろ、京都の下鴨神社の正禰宜(ねぎ)惣官(そうかん)鴨長継の次男として生まれた。(母については全く記されていることなく、不詳である。)当時、父親の長継は下鴨神社の摂社、河合社の禰宜を経て、下鴨神社全体の禰宜の要職にまでのぼりつめて、かなりの権勢をふるっていたらしい。しかも年齢は17才前後という若さであったらしい。

 下鴨神社は8世紀前半ごろから、すでにその存在が確認されているが、平安京へ奠都(てんと)以後はことさら、王城鎮護の神として尊崇され、山城国一の宮として社格も高く、行事など、伊勢神宮にすべて準ぜられていた。有力な官弊社の禰宜長継の次男として、長明は誕生、鴨の里で少年時代を過ごしたわけで、名は鴨長明といったらしい。

 長明誕生の翌年、保元元年(1156)京都市中で市街戦が勃発、保元の乱である。さらに3年後、平治元年(1159)、またまた京都市中で内乱、平治の乱が引き起こされ、歴史の前途に暗雲が立ちこめ、何となくもの騒がしい、不穏な時代の到来である。

 父長継34〜35才という働き盛りで亡くなる。
 突如、父を失った長明は、鴨一族の中で孤立への道を深めていったようだ。

 鴨長明は、健保4年(1216)閏6月10日ごろ、62年の生涯を閉じる。

<五代災厄
について>

 
・安元三年(1177)4月28日 長明23才頃 安元の大火

世情:加賀の僧徒、比叡山の大衆とともに御輿をふりかざし、内裏突入をはかるが、守護により撃退される流血の惨事。

 後白河院と平家の関係悪化し、一ヶ月後の5月29日には平家打倒の陰謀、鹿ヶ谷の変が勃発する。物情騒然たる中のこの大火。P37
・治承四年(1180)の卯月の頃 長明23才頃 治承の辻風

安元の大火の三年後の同じ頃、台風が京都の市街を襲う。

 世情:この台風の二週間後、後白河法皇の第二皇子以仁王(もちひとおう)と、源頼政の平家打倒の叛乱が勃発し、以仁王と源頼政ら敗死。

 平清盛、都を福原に遷都(6月)。京都が都になって四百年余りを経てきて、特別な理由もなく都が簡単に移り変わったことに、世の中の人の不安、困惑をあおり、衝撃がはしった。

そして11月再び京都に戻す。源平の全国的争乱が始まる。

・養和の飢饉 (118-1182) 長明27,28才の頃 世情:世の中全体、飢饉となる。春、夏の日照り、秋の台風、洪水などがうち続き、五穀は全て実らず。清盛、熱病で死ぬ。
・元暦(げんりゃく)の大地震 (1185)7月9日 長明31才頃。 

震源地は琵琶湖北。余震は三ヶ月ほど続く。

 世情:清盛の死後、寿永二年(1183)5月、平家軍は木曽義仲軍に大敗、7月、平家は京都を放棄、都落ちする。翌年の元暦二年(1185)2月四国屋島で、3月壇ノ浦で最後をむかえる。そうした衝撃の中で京都を襲った大地震。

「方丈記」は安元の大火で始まり、元暦の大地震で締めくくっている
 <源実朝とのこと>

 長明は建暦(けんりゃく)元年(1211)10月、鎌倉に下向、若き将軍、源実朝と数度面談に及ぶ。時に長明57才、実朝20才のことである。長明は鎌倉から帰還して半年後、建暦2年3月下旬、この「方丈記」をしたためる。
 長明は父を早くに失い、同族鴨氏のなかで、孤立した立場に追いこまれていき、社の交わりもせず、籠もりおりて侍りしが、一方、実朝も父頼朝が他界したのは8才の時、それから20年、28才の時に非業の最期を迎える。両者の近似する境遇、そして世の中の状況を見た中に近視するものを感じ、それぞれの歌集に表れてきているのか? との解説は興味深い。

余談:
 古典って、やっぱり時々読んでおく必要を感じる。長い年月を経て、なおかつ残っているものだから。
背景画は京都糺の森にある長明ゆかりの社河合神社。(2005/7撮影) 

                    

                          

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