灰谷健次郎著 『天の瞳』
                          
 

                
2008-09-25

(作品は、灰谷健次郎著『天の瞳』  角川書店による。)

     
     
    

幼年編T」 :
 初出 読売新聞朝刊連載 1994年9月から1995年8月
 新潮社1996年1月単行本

 幼年編T、U、少年編T、U、成長編T、U、あすなろ編T、Uと続いて、未完?

灰谷健次郎:
 神戸に生まれる。17年間の小学校教師生活の後、アジア・沖縄を歩く。
 1974年「兎の眼」を発表、1976年山本有三記念第一回「路傍の石」文学賞を受賞。
 

天の瞳:
主な登場人物:

小瀬倫太郎 人とは異なる発想をする厄介な存在の子。しかし先生や親や友達を次第に変えていく力も合わせ持つ。その成長ぶりが楽しみな子供である。
母親 芽衣 服飾デザイナー勉強中、何事につけおおらか。倫太郎との付き合い方に迷う時、夫の宗次郎と話し合って親も成長していく。
父親 宗次郎 芽衣の良き相談相手。
祖父 直次郎 大工の棟梁であった。倫太郎を側で静に眺めていて、いろいろと倫太郎に人生の本質を教えていく。じいちゃんの話は倫太郎には素直にすっと入ってくる。
保育園時代
園子先生 開設された倫叡保育園の園長。若い先生たちに向かって、この園ではなにをしても、なにをしなくてもよい自由がある。子供の欠点をあげつらったり、矯正しようとするより、良いところを伸ばしていこうと。 しかし小学校に入った倫太郎には大きなしっぺ返しが待ち受けていて・・・。
あんちゃん

園子さんの弟。保育園の下働き兼運転手兼助手。性格、考え方もなかなかユニークな皮肉屋さんで、子供達にも人気がある。
少林寺拳法を教え、子ども専用の本の店を開く。

小学校時代
山原先生 一年生の経験豊かな担任。倫太郎の扱いに初めは戸惑うが、次第に考え方、見方が変わってきて・・・。
遠藤千鶴先生 二年生の新卒の担任。教師らしくなく、子供達とも地で付き合う。
ヤマゴリラ先生 五年、六年の時の担任。倫太郎とは水と油。詩集に載せた詩のことで二人の生徒が登校しなくなる事態にもなるが・・・
金魚のうんこの四人組:

フランケン
(大村満 ミツル)

父親(大村哲朗)は県会議員、母親(隈水潤子)は隈水学園理事。姉の慧子(さとこ)は生意気盛りの高3、大人びた女子大生に。倫太郎の小学校に転校してきた気の合う友達。小学2年の時家出経験有り。

青ぽん
(青野豊)

オットリとしたところのある雰囲気を和ませる友達。

タケやん
(上原武美)

父親はウエハラさんとみんなは呼ぶなかなかの大物、おばあちゃんとおばちゃんにはコテンパンに言われている。外に愛人(ソノコ)とその子(イトエ)をもうけ、タケやんにはイトエと仲良くさせているという複雑な家庭の子。
中学校時代

ノムさん
(野村正太)

倫太郎たちが入学したときの中学3年の先輩。非行グループには属さない一匹狼的人物。ときに倫太郎たちの相談役にもなっている。
ゴリ先生 中学1年の担任。暴力教師。小学校の担任先生のように倫太郎たちの行動で変えれるか?
庵心籐子 PTA副会長。荒れる学校で倫太郎たちの活動を支援し、学校に対してハッキリものが言える痛みの分かるおばさん。


読後感:
 
 灰谷健次郎のエッセイ「いのちまんだら」(朝日新聞社)によると、小瀬倫太郎という一人の子供が青春期になるまでの成長を数年かけて描く大河小説というが、6年を経ても未だ中学1年の倫太郎(まんだら編Uが終わって)、まだまだ先は長そう。
 幼年編、少年編、成長編、あすなろ編とつづき、このあと青年編?の発行がまたれるところ。

 人間の成長記録としても、年齢を増す毎に問題が複雑になってくる。そんな印象を受けるが、心に残るのはやはり幼年期の心が真っ白な純白の頃に受ける感動、衝撃、悔しさ、憤りと言ったところではないだろうか。年齢が増すに連れて経験を積むことで色々なことを考えることになるようだ。そういう意味では中学時代の占める割合が極めて高い。

 小学校から中学校になるとがらっと環境が変わり、暴力、非行が問題の争点になり、教師と生徒、親の間での付き合い方に、保育園時代の育ち方が倫太郎たちのつながり、きづなの違いが鮮明になってきて、いかに小さい頃の育てられ方、環境が大切であるかが現れている。

 園子先生やエリ先生たちが、倫太郎たちが中学生時代になってもつながってきているのは理想ではあるが、ちょっと違和感も感じられなくもない。現実には実際にそんなことってあるのだろうかと。
 もうひとつ、障害児の教育、生き甲斐といった問題も出て来る。対応する倫太郎たちの活躍も次第に難しくなるが、このあたりになるともう、ひとりの倫太郎の課題というより、作者の訴えたいこと、考え方、主張を小説を媒体として訴えているようなもので、次第に幼年編のような新鮮な感動がなくなり、押しつけがましく感じられてきて、興が醒めてくる感じもある。そんなことがあるのか、図書館の予約もあすなろ編になってくると無くなっていた。

 小説的には手を広げすぎず、絞り込んで編数を少なくした方が良かったのではとも思える。
 成長編、あすなろ編では幼年編、少年編での感動が薄れてきた。

こころに残る表現:

 ◇ 倫太郎のじいちゃんが倫太郎に話す言葉:

 心には目ェがある。目がついとる。・・・心の目は、ものを見るためにあるのでなく、人の心を見るのが、いちばんの仕事だ。人と接するとき、心の全部、心の目を、みんなその人に向けるように、少しのことなら少しの心を向けるとよいなどと考えてはならん。


◇ フランケンの家出で千鶴先生と芽衣、倫太郎がフランケンの自宅に初めて行った時、慧子(さとこ)が母親にはなった言葉: (幼年期2)

「名刺をを出すと名刺程度のお付き合いしか出来ないのよ、ママ。ミツルのことを気にかけてわざわざ来てくださってるのに」
 芽衣はこの少女の。人を見る目の確かさを感じ取っていた。


  

余談:
 この時期にも小さい子供を母親が殺して何者かに殺されたかのように振る舞っている事件が起きた。母親に本を読む時間も余裕もなかったのかも知れないが、この本でも良い、読ませたかった。その後にも子供が近所のエリアにのに殺害される事件が起きた。社会がおかしくなっているとつくづく感じる。しっかりしないと・・・。
 
 背景画は、本書の幼年編Uの表紙イラストを利用。