印象に残る表現:
◇ハワイ―――私の第一歩
・ハワイ税関でのこと
スーツケースに貼り付けておいた日の丸と、ミシガン大学教授数学教室、藤原正彦、と英語で書かれた名札を見た税官吏が、「日本からミシガン大学にいらっしゃるお医者さんですか」と聞き、説明も面倒だからうなずいたら、それでおしまいだった。あまりにあっけないので少々心配になり、出口に立っていた航空会社の制服姿の日系らしい娘さんに、素早く頭の中で英作文をしてから、
「そこでは全然開けなかったんですが、もう全部済んだのですか」
と、恐る恐る聞いてみた。
「はい、そうです。あなたは正直そうな顔をしているので開けなかったのでしょう」
といって、ニコッとした。
◇太陽のない季節
アメリカにも日本と同様に、美しい物はいくらもあった。グランドキャニオンの壮大な美しさ。ミシガン北部の紅葉の見事さ。無数にある湖の水の青さ。地平線にゆっくりと沈む赤い夕陽。どれも美しいと思った。絵としてみたら日本の物より数段上と思われるものもあった。しかし、不思議なことに、感動したことは一度もなかった。思い出せなかった。「優しさ」を目覚めさせてくれることは決してなかった。何がこの違いをもたらしたのだろうか。
「アメリカには涙がない」ということに思い至った。土壌に涙がにじんでいなかった。それに反して日本には(中略)
私は日本で美しいものを見ても、それが単に絵のように美しかったから感動したわけではなかったらしかった。その美しさには常に、昔からの数え切れない人々の涙が実際にあるいは詩歌などを通して心情的に滲(にじ)んでいた。私は、これらすべての涙をその風景の中に、足下の土壌に、辺(あた)りを包む光と空気の中に、瞬間的に感知し、感動していたに違いなかった。
こう考えてくると、アメリカに歴史のないことが致命的に思えてきた。
◇アメリカ、そして私
大学院博士課程で教育学を専攻するジェーン、彼女に言わせると最近の学生は、「すべてに幻滅している」のだ。
たとえ目標や理想を掲げて進もうとしても現代の巨大な社会機構においてはどうにもなるまい。よくてドン・キホーテの二の舞だ。従って人生に大目的などを見出し、そのためにあくせく努力するのは無意味だと考える。彼等は出世物語には飽き飽きしたし、政治、経済、学生運動、地域運動等にも飽きてしまった。
もう手に触れるもの以外に信用しようとしないのだ。関心を持っているものと言えば自分およびそこからごく近い所にあるものだけだ。成績、恋人、家族、酒、マリファナ、音楽、スポーツなどだ。いわゆる幸福をそれほど追求しようとも思わない。そんなものは手で触られないものだから初めから信用していないのだ。
その一方では、同じ理由から学業にだけ精を出す学生も多い。彼らは特別な大志を抱いているわけではなく、有利な就職をして、経済的に安定することが先決だとごく現実的に割り切って考えているだけだ。
(中略)
自信を失い、目標を失ったアメリカ人は彷(さまよ)う。そして、その彷徨をより深刻なものにするのは彼らには故郷がないということであろう。彼らのすべてはそれがヨーロッパであれ、アジア、アフリカであれ、一度は故郷の地には決別した人々である。
ここに言う故郷とは、故郷の「地」だけではなく、そこに存在する歴史、文化、伝統などすべてを含めた広い概念である。
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