小気味よい表現:
時代劇小説であるため、斬り合い場面での表現も楽しみの一つである。以下では各所での斬り合い場面の小気味よい表現を抜粋してみた。
◇用心棒日月抄:
−叉八郎、相棒だった塚原を斬る場面−
―――出来るのだ、この男。
叉八郎は青眼に構えをかためて、迎え撃つ姿勢をとりながら、心の中で呻いていた。鈍く光る一本の剣の陰に、塚原の五体はほとんど隠れるばかりに圧縮されてみえる。その姿勢が、すさまじい弾力を秘めていることは明らかだった。
「やッ」
塚原は低く短い気合いを吐き捨てた。次の瞬間、塚原の身体は巨人のようにのび上がって、叉八郎に殺到してきた。すさまじい一撃だったが、叉八郎はその撃ちこみをはね上げた。二人はすれ違い、床に高い音を立てた。
◇孤剣
−小石川御門の北、大富静馬と青江叉八郎との斬り合い場面−
踏みこみかけた足を一たんもどし、叉八郎はあらためて闇の中に気配をさぐった。静馬はまだ部屋の中にいた。息苦しいほどの殺気が闇の中から寄せて来る。気配をさぐりながら、叉八郎はそろりと部屋の中に入り、足音を盗んで右に回った。
すると、いきなり風が襲って来た。刀をあげてうけとめると、闇の中に火花が散った。一瞬の火花の中にうかんだ静馬の姿に、叉八郎は鋭い袈裟斬りを叩きつけた。また火花が散って、静馬の姿が蝙蝠がはばたくように闇の中に跳んだのを感じた。
そのまま気配が絶えた。そして次ぎに物音が聞こえたのは、遠くからだった。
◇刺客
−六間堀裏の襲撃の場面−
うなりをあげて、男の刀が上段から落ちかかってきた。体をひらいて、叉八郎はその刀をはね上げる。はねた刀身を、踏みこみながら鋭く胴に打ちこんだが、相手は今度は退かなかった。かちりと、叉八郎の剣を受けとめると、そのまま前に出て来た。
叉八郎は横に足を送った。動きに合わせて、相手もすばやく横に動く。刀ははなれず、その間に身体は密着して、きわどい鍔(つば)ぜり合いになった。相手は押して来る。のみならず敵の刀は、叉八郎の剣を巻こむような、粘っこい力を伝えて来る。
叉八郎は押された。半歩さがり、また半歩さがった。叉八郎も背丈はある方だが、身体を接すると相手はもうひと回り大きい感じがした。頭上から何かしら巨大なものがのしかかって来るような、不気味な迫力がある。
刀をひきはずすゆとりは、まったくなかった。つとめて腕の力をやわらかく保ち、腹に力をためながら、またじりっと半歩さがったが、額に汗がうかんだ。
―――化物め!
◇凶刃
−石森左門と叉八郎、佐知との戦い場面−
だが、その平凡な顔つきの男は、叉八郎の胸にうかんだ一瞬の雑念を嗅ぎつけたらしい。五間の距離を気合いもろともすべるように走って来た。下段の剣は高く斜め上に上がり、そこから糸を引くような斬撃が叉八郎を襲ってきた。身の毛もよだつ神速の剣を、叉八郎も一歩もひかず迎え撃ち、剣を合わせると、強くはね返した。一瞬の隙に短剣を胸に構えた佐知が躍り込んでいったが、左門は早い引き足を使って、佐知に鋭い一撃を浴びせた。左門の体制は少しも離れず、十分に腰の入った一撃だった。
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