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藤沢周平著 『麦屋町昼下がり』



                   
2006-12-25

(作品は、藤沢周平著 『麦屋町昼下がり』 文藝春秋による。)

                         

『麦屋町昼下がり』は1989年3月発行。中に4編の作品が収められている。

・「麦屋町昼下がり」昭和62年(1987)6月 オール読み物初出
・「三の丸広場下城どき」昭和62年(1987)11月
・「山姥橋夜五ツ」昭和63年(1988)7月
・「榎屋敷宵の春月」昭和64年(1989)1月
 藤沢周平は、1927年12月山形県生まれ。1997年1月没。



読後感:
   

「麦屋町昼下がり」はいわゆる海坂藩作品に属するもの。わりと晩年の作品らしく、語り口は何とも手慣れていて、心地よさ、人情味、テンポのよさとすべてにおいていかにも藤沢周平作品といえる、安心して楽しめる作品である。
 収められている作品は、「麦屋町昼下がり」、「三の丸広場下城どき」、「山姥橋夜五ツ」、「榎屋敷宵の春月」の中編ものといえる。一般に本の題名になるメインの作品に比し、添えられている作品は小粒なものが普通であるが、これらの作品は、それぞれ面白くさすが藤沢周平という感がある。さらっとしたどんでん返し、おしまいまで結果をくどくど語らず、余韻を残して終わるところなど、読後感もさわやかで後味がいい。。


小気味よい場面

◇「麦屋町昼下がり」

「おれは、斬って斬って斬り死にするんだ」
言い終わると、弓削はまたすべるように走り寄って来た。青眼の剣が走りながら上段に移る。しかも弓削の腰はどっしりと据わり、刀は微動もせず、まるでみがかれた角のように光って弓削と一緒に走って来る。懸河(けんが)の勢いで上段の剣が落ちかかって来たが、敬助はまたかわした。ひと呼吸もおかずに、踏みこんで胴を狙って来た連続技もやすやすとかわした。
―――大丈夫だ。

と敬助は思っていた。弓削の太刀筋がよく見え、手足もふだんの動きを取りもどしていた。寸前にかわすことが出来たし、これだけ激しく動きながら、弓削がまだ毛筋ほどの隙も見せていないことも見抜いていた。うかつに斬りかかれば、逆に傷手を負うことになろう。
受けろ、勝ちはその後に見えてくると言った七十郎の声が、敬助の頭の中に鳴り響いた。

◇「榎屋敷宵の春月」
 小太刀の使い手田鶴と岡田十内との打ち合い場面

 微動もしない長い対峙から、まず岡田が動いた。青眼に構えた剣の先が、試し打ちをするように軽く上下に動き、その動きに合わせて、岡田は右に左にわずかに足を踏み変えた。そしてほとんど無造作なほどの足どりで二、三歩前に出てくると見えた直後に、岡田は音もなく走り寄ってきた。腰は沈み、剣は高く八双に上がっている。

 田鶴も剣を上げて迎え撃ち、二人は激しく剣を打ち合わせた。打ち合わせた次の瞬間、岡田はすいと後に下がった。そして下がりながら放った二の太刀が、思いがけない鋭さで田鶴の肩を打って来た。邪悪な、噛みつく蛇に似て瞬時によくのびる一撃だった。
 岡田が遣う剣は、田鶴がこれまで出会ったことのないものだったが、太刀筋はよく見えた。


余談:

山本周五郎の「雨上がる」のような短編が、一本の映画になる。藤沢周平のこれらの作品も充分映画にして面白いのではないか。生半可な時代劇より。

背景画は NHKTV「慶次郎縁側日記」のタイトル画像より。

                    

                          

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